シカヨウ社の歌 (スケランの流れ,台湾蕃歌) |
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作詞・作曲:トタイ・プテン、作詞(1番)山本雄一郎 |
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1.西に次高 東に南湖 朝夕に輝く その山肌を 眺め暮す 我がシカヨウ社よ * オーワニヤン オオーワニヤン オオーワニヤン ナルハ ナイナイヨ ア ナイナイヨ 2.次高山の 麓に スケランの流れ 鱒がとれる 一度おいで 我がシカヨウ社へ (* 繰り返し) 3.月に踊れにゃ 娘はやれぬ ついた粟餅 なおやれぬ 踊り踊れ 粟酒飲んで (* 繰り返し) 4.イボウの葉蔭に 娘が一人 何が悲しゅうて 泣くのやら 粟の祭りの 誓いあるに (* 繰り返し) |
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シカヨウ社の歌(スケランの流れ,台湾蕃歌) 1934年(昭9)トタイ・プテン作詞・作曲 作詞・作曲者のトタイ・プテンはいわゆる高砂族の最大の部族アミ族 の人で、当時の旧制台北帝国大学の学生であったとき、調査研究の ためシカヨウ社に長期滞在中に作ったとのことである。一方、1930年 ころ日本人が作り彼に教えた歌との説もある。 1938年(昭和13)に山本雄一郎氏ら4名が台湾の中央尖山、南湖大山、 次高山(現在は雪山)に登られた時、シカヨウ社の人から教えられた。 山本氏は、この山行の思い出から1番、西に次高...を作詞し、 もともとの2番,3番,4番に追加して現在我々に伝えられている。 一力英夫氏や馬目広道氏らが環山で泊った民宿の女主人は・秀美(Hsiu-Mei Jan )さん (日本名小林淑子1929年(昭和4)生まれ)は高砂族の一部族タイヤル族 の酋長の娘だそうだ。この女主人の叔母林蘭妹さん(日本名小林ツル)が 歌詞にでてくる葉蔭の娘だとのこと。トタイ・プテン氏とは結ばれなかったとの ことである。 次高山・・・現在の雪山の日本統治時代の名称。シカヨウ社の西側にそびえる。標高3884m。 南湖・・・南湖大山。シカヨウ社の東側にそびえる。標高3740m。 シカヨウ社・・・現在の環山の日本統治時代の名称。鹿洋社。 オーワニヤン・・・囃子言葉。 ナルハ ナイナイヨ・・・「さぁ、いらっしゃい」の意味。 イボウ・・・台湾ヤマハンノキ。20mぐらいになる。 シカヨウ社の歌(スケランの流れ,台湾蕃歌)の曲名、歌詞は資料により異なる。 入手できた資料の一覧と、KSTAC版「シカヨウ社の歌」を検討した経緯を次に記す。 KSTAC版「シカヨウ社の歌」案 岩永氏(2005年5月15日改定) また、シカヨウ社の歌は、一般には台湾の地名を剱岳や穂高などに置き換えた替え歌とし て知られており、例えば山の歌集(土橋茂子・編著 山と渓谷社 2004年5月30日出版)や 山の音楽・MIDIアルバム ![]() では「剣の歌(作曲作詞者不詳)」として紹介されている。 他に、歌舞伎町わだち(http://members.jcom.home.ne.jp/kabukicho-wadachi/1_002.htm)の 「青い表紙の山日記その9」では遠見尾根の歌(http://members.jcom.home.ne.jp/kabukicho-wadachi/1_026.htm) として紹介されており、元は台湾の「シカヨウシャの歌」で高砂族の曲と聞いている、との説明がある。 |