KSTAC版「シカヨウ社の歌」案                                    
                                     2005年5月15日 改定2版

2004年の5月から7月にかけて、M/Lで馬目さんの雪山(次高山)の報告(参考文献1)をきっ
かけにいわゆる「台湾蕃歌」が話題になりました。このとき、「KSTACの台湾蕃歌」ができて
もいいのではないか、との横山さんのご提案を受けて、いままでの皆さんの意見と資料をもと
に以下のようにまとめてみました。

出発点は、井坂さんがKSTAC OB会のH/Pに載せていた以下に記す歌詞とした。

台湾蛮歌(鹿洋社の歌、スケランの流れ)
台湾鹿洋社民謡
編曲:山本雄一郎
1.西に次高 東に南高
  朝夕に輝く その山肌を
  眺め暮らす 我シカヨウ社よ
  オーワニヤン オオーワニヤン
  なるはないないよ ないないよ(囃子は以下同じ)
2.次高山の 麓に 
  スケランの流れ 鱒が泳ぐ
  一度おいでよ 我シカヨウ社へ
3.月に踊れや 娘はやれぬ
  ついた粟餅 なおやれぬ
  踊れ踊れ 甘酒飲んで
4.イボの葉陰に 娘が一人
  何が悲しゅうて 泣くのやら
  粟の祭りの 誓いあるに

この歌は、昭和13年(1938年)に山本雄一郎さんら4名が台湾の中央尖山、南湖大山、次
高山(現在は雪山)に登られた時(参考文献2)、シカヨウシャの人から教えてもらった歌である
(参考文献3)。

まず、題名。「蛮歌」は「蕃歌」が正しい、との意見もあったが、この場合、どちらの字でも意味
はえびす、すなわち、野蛮人という意味があり、「蕃(蛮)歌」は、不適当だと思われる。「スケ
ランの流れ」か「鹿洋社の歌」ということになるが、歌詞の内容からするとシカヨウ社はすばら
しいところだということと、そこでの淡い恋を歌っているので、一力英夫さんの報告(参考文献3)
にあるように「シカヨウ社の歌」が適当であろう。「鹿洋社(シカヨウシャ)」は日本統治時代の
地名で、現在は「環山」という。

次に作者である。一力さんの報告(参考文献3)によれば「1934(昭9)年アミ族=トタイ・プテン
作詞・作曲」とある。彼はいわゆる高砂族の最大の部族アミ族の人で、当時の旧制台北帝国
大学の学生であったとき、調査研究のためシカヨウ社に長期滞在中に作ったとのことである。
また、1930年ころ日本人が作り彼に教えた歌との説もある。
一力さん(参考文献3)や馬目さん(参考文献1)が環山で泊った民宿の女主人せん・秀美さん
(日本名小林淑子、昭和4年生まれ)は高砂族の一部族タイヤル族の酋長の娘だそうだ。
この女主人の叔母林蘭妹さん(日本名小林ツル)が歌詞にでてくる「葉蔭の娘」だとのこと。
トタイ・プテン氏とは結ばれなかったとのことである。
一力さんの報告(参考文献3)では、1番は「イボウの葉蔭に…」、2番は「月に踊らにゃ…」、
3番は「次高山の…」となっていて、4番はない。一力さん(参考文献3)や馬目さんの報告(参考
文献1)によると、「西に次高…」の4番目の歌詞は、帰国後、山本雄一郎さんが作ったのでは
ないかということである。そこで、作者については、「作詞・作曲:トタイ・プテン、作詞(1番):山
本雄一郎」としてはどうだろうか。

次は歌詞の順番である。横山忠雄さんからお送りいただいた、「ルームの歌」(昭和59年11
月発行)(参考文献5)の「スケランの流れ」には4番として「西に次高…」が付け加えられている。
しかし、同じく横山さんからお送りいただいた、「ルームの歌集」(平成12年6月発行)(参考文献6)
では、その歌詞の順番はKSTAC OB会のH/Pの順番と同じである。すなわち、1番は「西に
次高…」、2番は「次高山の…」、3番は「月に踊れにゃ…」、4番は「イボの葉蔭に…」となっている。
この順番は、昭和30年代の後半、われわれが学生時代に歌っていた順番と同じである。1番、
2番、それに3番とシカヨウ社のことを歌い、3番と4番で悲恋を歌うといった順番といい、わ
れわれが歌いなれた順番ということもあって、この順番がいいと考える。

さて、歌詞に移る。
1番。「南高」は「南湖」である。これは山本雄一郎さんの報告(参考文献2)に載っている地図を
見ると明らかである。シカヨウ社の西側には3884mの次高山(雪山)がそびえ、東側には3740mの
南湖大山がそびえていることから明らかである。
次は「囃子」の「オーワニヤン」と「なるはないないよ ないないよ」である。
一力さんの報告(参考文献3)では、「オーワイヤッハン」と「泣くではないナイヨ ナイナイヨ」、
福嶋さんのH/P4)では、「オワハニ(おいで)」と「泣くではない ないよ ないよ」、ルームの歌
(参考文献5)では、「アーワイヤハーン」と「ナールハナイナイヨー ナイナイヨー」、ルームの歌集
(参考文献6)でも、「アーヤイアン」と「ナールハナイナイヨ ナイナイトー」となっている。「オーワニ
ヤン」の部分は、「オワハニ」で「おいで」という意味があるらしいが(参考文献4)、定かではないし、
メロディーにものらない。そこで歌いなれている「オーワニヤン」にしたらどうだろう。「なるはない
ないよ ないないよ」の部分は大森弘一郎さんが言われるように単なる「囃子」と考え7)、「ナルワ
ナイナイヨアナイナイヨ」としたらどうだろう。

2番。「次高山の麓に」の部分。一力さんの報告(参考文献3)だけが「次高山の麓の」となってい
るが、「次高山の麓に」が適当だろう。「鱒が泳ぐ」の部分。これは他のすべてがそうであるように
「鱒がとれる」だろう。

3番。「月に踊れや」は、一力さんの報告(参考文献3)とルームの歌(参考文献5)では「月に踊らにゃ」、
ルームの歌集(参考文献6)では「月に踊れにゃ」となっている。続く歌詞とのつながりから、踊れない
ならばの意で「月に踊れにゃ」が適当であろう。「娘はやれぬ」と「ついた粟餅なおやれぬ」の「やれぬ」は、
同じく一力さんの報告(参考文献3)とルームの歌(参考文献5)では「やらぬ」、ルームの歌集(参考文献6)
では「やれぬ」となっている。前の歌詞との関係で「やれぬ」が適当であろう。
「踊れ踊れ」は、ルームの歌集(参考文献6)は「踊り踊れ」となっており、大森さんの記憶でも(参考文献7)
「踊り踊れ」とのことである。「甘酒飲んで」は、多くの資料で「粟酒飲んで」となっており、単なる間違
いと思われる。

4番。「イボ」は、一力さんの報告(参考文献3)によれば「イボウ」となっていて、20mにもなる台湾ヤマハ
ンノキのこととある。したがって、「イボウ」が正しいと思われる。
「アワの祭り」は、一力さんの報告にあるように8月15日の「粟の祭り」であるから漢字の方が
いいと思われる。

以上のことをまとめて記すと次のようになる。(結果的には、鈴木斐雄さんらが編集委員とし
てまとめたルームの歌集(参考文献6)とほぼ同じ歌詞になった。)

「シカヨウ社の歌」
作詞・作曲:トタイ・プテン、作詞(1番)山本雄一郎
1. 西に次高 東に南湖
   朝夕に輝く その山肌を
   眺め暮す 我がシカヨウ社よ
   オーワニヤン オオーワニヤン オオーワニヤン
   ナルワ ナイナイヨ ア ナイナイヨ(繰り返し)
2. 次高山の 麓に 
   スケランの流れ 鱒がとれる
   一度おいで 我がシカヨウ社へ
3. 月に踊れにゃ 娘はやれぬ
   ついた粟餅 なおやれぬ
   踊り踊れ 粟酒飲んで
4. イボウの葉蔭に 娘が一人
   何が悲しゅうて 泣くのやら
   粟の祭りの 誓いあるに

なお、「シカヨウ社の歌」は鳥取市の歯科医師、福嶋佑二氏のホームページ(参考文献4)にも4番と2番
が、根深誠氏も釣りの本(参考文献8)の中でシカヨウ社にます釣りに訪れた際の紀行の中でふれていて
4番と2番の歌詞が記載されている。また、この歌は「遠見尾根の歌」として替え歌が全国的
に流布していたようだ。

参考文献
(1)馬目広道、「台湾 雪山(次高山)登山と環山(シカヨウ社)の山旅」、KSTAC
OB会H/P(http://www.kstac-ob.org/record/04_taiwan/index.htm),(2004年,5月)
(2)山本雄一郎、「夏の中央尖山 南湖大山 次高山」、登高行]V、(1940)、60 
(3)一力英夫、「正調『シカヨウ社の歌』報告(1996.3)」、登高会会報47、13
(4)福嶋佑二、「台湾 玉山と雪山山行日誌(2002年4〜5月)」、
http://www.hal.ne.jp/fuku-y/kobeya-01-taiwan-01.html
(5)慶應義塾大学体育会山岳部・登高会、山岳部創立70周年記念、「ルームの歌(編集委
員 谷口現吉、大歳豊彦、神戸常雄)」、昭和59年(1984年)11月
(6)発行責任者:阪井是、「ルームの歌集(編集委員 田邊壽、鈴木斐雄、坂井是、八鍬貞悦、
岡部紘)」、昭登会(登行会の中の組織)10周年(平成11年9月)に計画、平成12年(2000年)6月発行
(7)大森弘一郎、横山忠雄氏への私信(e-メール)、2004年9月27日
(8)根深誠、「旅愁の川(渓流釣り紀行、ベストセレクション)」、つり人社、2000年6月