慶応大学山岳部創立90周年記念トレッキング・
台湾 雪山(次高山)登山と環山(シカヨウ社)の山旅



M17期 馬目です。
表題に参加しましたので報告させていただきます。

2004年5月7日から6日間の山行でした。
参加した人
 宮下秀樹(S30) 阪井 是(S31) 一力英夫(S33) 大口晏弘(S32)
 久井恵之助(S33) 大森浩一郎(S32、15C) 西沢与志英(S33)
 深川安明(S34) 馬目廣通(S36、17M) 岩田継正(S36) 白根靖彦(S36)
 ツアーリーダー古田 淳(Wec トレッキング社 日大エヴェレスト東南陵初登頂隊長)
 台湾山岳会指導員 2人の林さん、ポーター3名 総員17名 です。
 平均年齢70歳。
台湾は九州程の面積ですが3000M以上の頂が264座あります。全山登頂者は現
在135名で6週間要するそうです。一人の林さんは65番目だそうです。
外国人の入山は許可申請が必要で、指導員の随行が義務付けられます。

5月8日
 台北よりバスで宣蘭をへて武陵 雪山登山口え約6時間、雪霸国家公園雪山事
務所でビデオによる教育を受ける。主に山のマナーに関して。
 登山口(2000m)から整備された登山道を小雨の中、今日の泊まりのシチカ山
荘(2463m)まで3時間、つつじの赤紫の花が美しく秩父雲取の登山道を行く感じです。
 管理人はいないが板張りの上下2段、通路を挟んだ構造で100人程度の宿泊
が可能、別棟に炊事場、テーブル、があり清潔で、トイレは水洗でした。
 ポーターが揚げた旬の野菜、鶏 豚肉の台湾料理が数種類ボールに盛られきゃべつ
が柔らかで美味でした。週末なので50人程の若いグループの同宿で、日本の山
と違い老年パーテイは会いませんでした。オバサンはいませんでした。

5月9日
 6時発雪山東陵に取り付く尾根を登る、時々激しい雨、雪山東峰(3201m)で晴
天になる、中央山脈の盟主 玉山(新高山3997m)が遙かに望める。三六九山荘
(3100m)12時着、うどんを食し、13時発 大ひらびその森林帯を抜け
カール底部にたどり着く。横尾から唐沢の道のスケールを大きくした感じだ。カール
は這い松のような石楠花が咲き出したところで満開の見事さが想像出来る。いよいよ
頂上を目指してザイテンの様な感じの稜線を一歩一歩、 雪山頂上(3886m)に立
つ。晴天風強く防寒着を付ける、16時着、先頭より30分遅れ。雪山北峰(3703m)
志佳陽大山(3327m)が近くに聳え、 周囲全て山山。
下山開始、高山病症状が出た人もいてゆっくり下がる、20時三六九小屋着。14時
間の行程は何十年ぶりか。
この小屋も同じ作りで、炊事食堂が別棟になっている。古田さん差入の南光梅がうま
い。何年ぶりかの熟睡バタンキュウー。

5月10日
 晴天、小屋の前でご来光に祈り、おかゆを食べ8時発。
 雪山東峰でノービング。展望台があるたびに大休止。シカヨウシャの歌(台湾蕃
歌)の4番 西に次高 東に南湖 朝夕に輝く その山肌を 眺め暮らす 吾がシカ
ヨウ社よ  の南湖大山(3740m)がピラミット状に聳え歌の歌詞が実感されました。

シカヨウ社の歌は登高会故山本雄一郎先輩が1938年(昭和13年)次高山登山の
折、鹿洋社でタイヤル族に習ったもので、3番までで、4番は東西に聳える両山の山
肌に思いをはせて帰国後に作詞したようです。
 
シチカ山荘につく、お汁粉と煮込みうどんが待っていた。大休止ぷらぷら登山口事務
所に到着。冷えた台湾ビールが待っていた。  いい山だった。

ポーターと別れ車で環山(日本統治時代 鹿洋社)の民宿に移動、民宿の主人 誉秀
美さん(日本名小林淑子)はタイヤル族の酋長の孫で、この山行を計画した同行の一
力英夫さんが近年訪れて昵懇になった事もあり、大歓迎を受け彼女の経営する 泰雅
族文物館(博物館)の2階を宿舎とした。

環山は谷にあり周囲の斜面は全て二十世紀梨と高原きゃべつの畑で大変豊な村です。
梨は日本人駐在さんの指導によるもので鳥取の苗を接ぎ木して始まったものです。
梨のふくろ付のお祭りで紹興酒が売り切れで、代わりに出された粟酒に酔い、正調 
シカヨウ社小唄(台湾蕃歌)を聴き歌い又熟睡。

5月11日
 スケラン渓谷をみて台北に移動。

5月12日
 故宮、中正記念堂等サイトシーン、21時成田着

学生時代の長い縦走を終えた心地よい気分を味わいました。

以上


シチカ山荘

雪山

雪山頂上

雪山東峰バックが主峰

頂上よりカール

登山口