山行記録

申し訳ありませんが敬称は略させていただきます。

01/10

五葉山       17M 馬目廣道   2001/10月中旬

10月中旬の快晴の1日,静かな東北の山に登りました.     「頂上写真」

長い間頂きに立ってみたいと思っていた,大船渡と釜石の境界にある五葉山に登りま
した.
01年10月19日,台風21号が海上に離れ雲ひとつ無い日本晴れの朝,太平洋セメント大船渡
工場出張の定宿を車で登山口の赤坂峠に向かいました.10年程大船渡に通い,いつで
も登れると思いながら今日になってしまいました.標高1,351メートルの五葉山は北上
山地の最も海に近い山で,春はツツジ,夏はシャクナゲ,秋は紅葉が美しく,今日も中
腹が赤,黄色,橙に輝いております.峠えの途中で多目的のダムが建設中で,道も其処
までは整備されており,最近掘り当てた五葉温泉を通過,本州鹿のつがいに出会い赤
坂峠に到着大船渡から40分程度です.
峠は海抜712m地点で広い駐車場,水飲み場,トイレがありその清潔さに感じ入り
,紅葉のミズララ,ブナ,ヒノキの中登山道を辿りました.
賽の河原,畳石,で休憩,紅葉の中で染まり,頂上近くの非難小屋に2時間半で着く.
清潔な30人程度泊まれる広さで,小屋の前に清水が湧いており,次回ツツジかシャク
ナゲのころ,泊まりたい小屋です.トイレ小屋が別に離れており清潔です.
頂上はなだらかな,高原状での地形で,展望がすばらしく北に早池峰山,西に奥羽山
脈,東に太平洋,眼下に大船渡湾,釜石湾,気仙沼のリアス式海岸が広がります.
雲ひとつ無い山頂で,カレーうどん,おにぎり,を食べコーヒーを立て至福の時間を
過ごしました.頂上付近はシャクナゲ大群生地です.7月上旬が見頃だそうで,山頂の
東側の日の出岩付近はヒノキアスナロの見事な原生林があります.
くだりも歩きやすい,階段など人が手を加えた跡の全く無い道を4本足で海と紅葉を眺
めていると,いつのまにか赤坂峠に着きました.往復休憩を入れて6時間半.
ごみ一つ無い山で,地元の人が大事にしている事が良くわかります.
五葉山はいい山でした.
アルカリ泉のつるつるの五葉温泉で汗を流し,川越をめざし車上の人になりました.


01/10

丹沢・水無川本谷    L:46C井坂,M:SD2高木,SD2野崎(記) 2001/10/7

7:30  渋沢駅集合 
8:02  戸沢着 着替えなど諸準備
8:24  戸沢発 遡行開始
9:40  F3
10:10 F5上
11:30 F8下 崩壊地
12:10 F8上 立
13:00 F9
13:40 塔ノ岳山頂着
14:20 塔ノ岳発
14:45 新大日 野崎足をつらせ応急手当
16:00 戸沢着(下山)

以上です。


【井坂の補足】
暑くもなく寒くもなく、水無本谷日和でした。
水無本谷は最後の詰めが簡単で縦走路に出てすぐ塔ノ岳に着く(ピークを踏める)
ので良い沢だと思います。
気が付いたことを報告します。ご参考ください。
・F4左岸に新しい鎖がはられていた。
・F8はますます崩壊が進み左岸の巻き道はほとんど喪失いて本谷に戻るのに苦労した。
 ここで後続の2人パーティーに追いつかれた。(巻き道は我々がガイドした形になった。)
 晴れていればF8の落口から海が見えるが今日は曇りで×。
・F9は左側の残置ハーケン2本に沿って登攀。
 ちょっと難しいが、シャワークライミングが面白かった。
 リードの高木君には念のためキャメロット#1と#0.75を使用してもらったが、
 一応残置ハーケンがあるのでキャメロット無しでも登れる。
・書策新道は登口には非常に危険な崩壊があると脅してあるが、
 東丹沢にしては適当に踏み込まれ自然に荒れてた良い道だと思う。
 下山で家族連れと犬連れ夫妻の2パーティーに会った。
 


01/07

富士山須走口       17M 馬目廣道   2001/7/28,29


平成13年7月28日(土)台風6号が東方海上にそれて快晴の朝5時半須走口
の新5合目駐車場に到着,既に満車で(夜間登山者の車),指示に従い少し
下の,下り車線の路肩に駐車.富士あざみ道路は無料でお盆の道路規制も
無いそうです.今回の富士登山は6月初旬の残雪登山に続いて,登高会の
8月8日出発のスイス,ピッツアルピナ山のトレーニングで今回は山頂に泊まり,
高度順化を目的にしたもので,遠征参加を取りやめた小生も同行しました.
亀組みの田辺さん(70歳)と私は7時頃到着するウサギ組の八鍬,鎌田夫妻,
加西夫妻,中西を待たずに出発する.他の4つの登山口より5合目が少し低い
(標高2000m).
緑の濃い樹林帯を1時間程登ると潅木帯になり視界が開け8合目,9合目鳥居
が見え頂上が間じかに見えます.吉田口と異なり,のんびりとして静かな山道
で林館(2400m)の本五合目をすぎ歩きやすい道をたどり,登っていくと六合
目の瀬戸館(2600m)に到着する.ここでウサギ組に追いつかれる.
左手に砂走りを砂煙をあげて下っている人々が見える.ここは安産の御利益
がある胎内洞穴があります.瀬戸館から上は潅木がなくなり,溶岩の良く整
備された道になり,ゆっくり登るとまもなく七合目太陽館着(3000m).
ウサギ組はすでに姿見えず.ここの夕食は富士山の小屋随一といわれる
メニューでハンバーグキャベツ付き,秋刀魚の蒲焼,豚汁といったものだ
そうだ.(二食付き7500円)
高山病対策に腹式呼吸を練習しながら,本七合目見晴らし館(3250m)
に到着.全て砂地の世界になる.
八合目須走口江戸屋,下ってくるとここで吉田口下山道と須走口下山道と
の分かれるところです.これから先はいよいよ急勾配になり腹式呼吸で
ゆっくりあるくうちに本8合目富士山ホテルに着く.ここで吉田口に合流する
と急ににぎやかになる.
九合目の鳥居をすぎ,ゆっくり休まず腹式呼吸で歩幅を狭く,足場を考え効率
よく高度を上げてゆくうちに頂上の鳥居に到着する.6時出発17時着.
ウサギ組より2時間の遅れ.
山口屋でカレーライスの夕食がま待っていた,美味.7時消灯.
(予約がないと泊まれない)
夜半に出てみると満天の頭上の星,気温8度フリースの重ね着で寒くない.
29日翌朝,御来光に商売繁盛をお祈りし,お鉢めぐりをする.無人になった
測候所の剣が峰展望台から雲海の上八ヶ岳,南アルプスが見事.8時30分
ブルドーザーの下山道を一気に下る.八合目で吉田口とわかれ砂走りを駆
けるが,昔に比べ岩が多いようだ.ウサギ組は2時間半,亀組みは4時間で
無事下山した.
富士登山は人の少ないのでゆっくり登れる,樹林帯があり自然を楽しめる,
下りは苦しいが,須走口がお勧めです.五合目が少し低いが(約300m)
楽に登れます.  17M 馬目


01/05

残雪の安達太良山       17M 馬目廣道   2001/5/12,13


5月12,13新緑と残雪が豊富な晴天の安達太良山を楽しんできました。

二本松駅10時30分に集合した、登高会の 山田二郎、宮下秀樹、竹内満州雄、木村泰
助、田辺 寿、八鍬貞悦、岩田継正、中西 洪、馬目廣道 3台の自家用車に分乗して
、あだたら高原スキー場に着き、三々五々、勢至平に昼飯の時間に到着、担ぎ上げた
炭で広嶋風焼きそばを作りししたつつみを打つ。天気晴天雲無し。米沢在住の粟野修
一氏、塩沢温泉から湯川の沢道より合流。、
雪が消えた跡にすぐ出る、ショウジョウバカマに見とれ、淡い緑の中楽しいノービン グ。
午後3時頃、くろがね小屋に到着(県営)。源泉の硫黄の温泉を楽しむ。
夕食は満天の星の下、最上級の米沢肉のバーベキュウ食べきれず、翌日に残す。
バーベキュウセット(8KG)を担ぎ上げた八鍬に感謝、小生の分担は焼きそば材料1
2名分。小屋の夕食のカレーも美味(夕食時間5.30)
熟睡の一夜が明け残月が尾根に残るなか、5時30分、熱い味噌汁と生卵の朝食をとり、
矢筈森の登りに掛かり峰の辻で一服、残雪を踏み馬の背の稜線に出る。今日も快晴。
全方面の視界、磐梯山、吾妻、飯豊、蔵王 東北の山山を心おきなく眺めながら大ノ
ービング。スケッチをする田辺氏、木村氏(水彩)、長老の山田、宮下両氏と岩田氏
鉄山往復、健脚に驚き。 安達太良山乳首を登り、雪解けのぬかるみを薬師ゴンドラ
終点に降りる。
そこで、またまた焼肉、焼きそばパーテイで歓談の楽しいひと時を過ごす。最後の降
りは全員の意見で予定変更、ゴンドラを利用。
富士急ホテルで温泉に浸かり郡山駅に向かう。
高度差約800M、歩いた時間正味約7時間
、仲間がいて、美味い食い物と天気が良ければ山は最高です。


01/05

平標山報告          31E 伊藤

メンバー:31E伊藤,秋山(4年),野崎(2年),高木(2年)

行程記録 担当:野崎(2年)

5/3
9:10  湯沢駅集合 タクシー乗車
9:30  平標登山口着
9:45  出発
10:41 林道終点
11:38 立
12:50 平標山の家着 テント設営
14:05 偵察に出発
14:45 引き返し(1800m付近)
15:00 テント場着
17:20 夕食
19:00 就寝


5/4
3:30  起床
5:08  出発
6:00  平標山頂着 雲の中
7:03  仙ノ倉山頂着 雲の中
8:00  平標山頂
9:00  テント場着 撤収開始 晴れる
10:00 下山開始
10:55 林道終点
11:50 平標登山口着(下山)

OB各位
31E伊藤です。平標山の報告を致します。
(1)山行の状況
・記録は2年生より提出されますので、それを参照願います。
・私は今の現役と一度も登ったことが無く、どのような登り方をするのか
非常に楽しみでした。実際に登ってみればしっかりした登り方をしているし、
2年生のトップでも特にルートの取り方に問題はないし、体力は当然ながら
私なんかは問題にならない体力を持っているしと安心しました。
・雨以外は吹雪だろうがなんだろうが行動しようと思っていました。平標山
の家にB.C設営後ガスの中を平標偵察。二日目もガスの中を平標に登り、
仙ノ倉山付近ではガスと強い風の中を登り、少しは雪山らしさを体験する
事ができました。ガスの中を地図と磁石を頼りに登る良い経験が出来たと
思っています。
・雪はあまり豊富ではありませんでしたが、御岳山に続いての雪山でそれ
なりに感触がつかめたものと思います。下山ではザックを背負っての雪の
下りの難しさを体験できました。
・結果論でいうと今回の山行は現役だけでも、安全上特に問題は無かった
と思う。しかし、冬山のように荒れた場合はどうか、引き返しを逸するような
ケースが無いかと問われると、私には問題無いとは言いきれなかったこと
も確かです。その辺は現役に近いOBの判断にゆだねるしかないと思う。
(2)現役さんへ
・山への情熱が感じられ、非常に頼もしい。力はあるので、もっとどんどん
いろいろな山に登り、山のすばらしさを知ってもらいたい。
・OBはできる限り現役をバックアップするので遠慮せずに言ってもらいたい。
(3)現役の山行へのOBの関わり方
・今回初めて現役と登らせてもらい現役の実力が把握できた。実力は上記
の通りであり、力もやる気もある。
・ただ二年生が望んでいる春山をやるためにはそれなりの計画を立てて
いかなければ、良い山には登れないと思う。
・訓練合宿が途絶えているため欠けている技術が多少ある。例えば雪の
下りの歩行、ピッケルストップなど。これらの技術を習得するにはOBの
バックアップが必要と思う。例えば6月に富士山の雪上訓練を指導する、
8月の夏合宿で雪上訓練を指導するなどが考えられる。
・今回の感想会はOB会としては特に行なわないつもりですが、現役の山行
へのOBの関わり方を幹事会で早急に話し合う必要があると思います。
OB会幹事各位のご意見を伺いたく存じます。
以上



01/04

御岳山略式報告        23A 吉田

メンバー 23A吉田,野崎(2年),高木(2年),國井(2年)

行程記録 担当:野崎(2年)
4/27
23:50 上野駅発
 (急行アルプス)
4/28  
4:10  塩尻着 仮眠
6:54  塩尻発
7:40  木曽福島着 登山届提出
8:56  木曽福島発(バス)
10:03 八海山バス停着
10:30 ゴンドラに乗車
10:55 天笠の森駅着(6合目)
11:25 出発 テント場を探す
12:21 立
13:10 テント場着・設営(7合目付近)
14:30 雪訓開始(アイゼン歩行など)
15:45 雪訓終了
17:30 夕食
18:40 就寝
4/29
4:00  起床
5:40  出発
6:25  立 (9合目付近)
6:40  アイゼン装着
7:20  王滝頂上 アイゼン外す
8:00  剣ヶ峰着
8:50  出発 一ノ池の周囲を回る
9:42  剣ヶ峰着
10:15 下山開始
11:16 テント場着
13:30 ワカンの練習
15:00 現役は雪洞掘り開始 失敗
18:00 夕食
20:10 就寝
4/30
6:30  起床
7:30  撤収開始
8:45  出発
9:20  ゴンドラ乗車
9:45  八海山神社社務所着
(下山)


<行動の概要>
4月27日 新宿 急行アルプス23:50発
4月28日 塩尻、木曽福島、バス八海山、ゴンドラ三笠山
田の原より七合目に幕営(かなり固い雪の層
で、整地に手間取った。)
近辺の斜面を利用して、
1)ピッケルを突くタイミング(3拍子歩行)
2)アイゼン歩行の実習
内容: 登高、下降、トラバース、ジグザグターン
の足さばき
3)停止姿勢の型
4月29日 外出:王滝頂上経由剣ヶ峰、一の池お鉢一周
9合目でアイゼンを着け、王滝頂上で外した。
下山は王滝頂上でアイゼンを再度着け、テ
ントサイトまで下った。
帰幕後、ワカンの歩きかた実習(実際はもぐるよう
な雪質の場所は無く、林の中を歩き回っただけ)
3時頃より雪がちらつき、すぐ雨に変わった。
4月30日 雨止まず、雪上訓練を中止して、撤収、下山。

今年は雪が多いと言うことでしたが、八合目あたりは夏道
がむき出し、王滝と剣ヶ峰の鞍部は雪がなく、剣ヶ峰の頂
上も雪がありませんでした。

9合目からは時間も早かったこと、キックのきつい部分が
まだらに出て来るため、アイゼン歩行にしました。
アイゼン装着時の注意として、足場をきちんと作ること、
ザックの置き場所を刻むこと、山足から履くことなどを
教えました。
幸いなことに、頂上での眺望に恵まれ、隣の乗鞍岳の向こ
うに穂高、槍、少し離れて白山、振り向けば中央アルプス
の山並みを楽しむことが出来ました。

3日目の朝、雪の固い状態で滑落停止の実習を予定して
いましたが、雨天で流れてしまい、残念なことをしました。

装備の点検に関して細かいことで気がついたことは多々
ありますが、それは本人たちの言葉で語ってくれることを
期待します。
何事も始めての経験とすれば、良くこなしたと思います。

私個人としては、38年前の自分とイメージをダブらせたり、
さわやかな若者たちと久々に新鮮な気分の山行が出来
ました。

平標山の計画は中止の風向きですが、私はコースを小
屋経由の往復にして、登山口にテントを張り、素直な登り
かたをすれば、天候の判断だけすれば良いと考えます
ので、実施して欲しいという意見です。

「計画の出が遅い」という指摘は、今回のことだけではな
く、今後の合宿予定もあまり見えていないようですね。

吉田 浩二


01/02

93/100 大台ケ原・日出ヶ岳遊山      2001/2/11


戻ってきた今も、あんな長い道を良く歩いたなァーと足をさすりたい。
この体感と記憶の冷めない内に、感想を綴ることにした。

吉野熊野国立公園へドライブ

2月10日からの3連休は、スキーを考えていたが、予約が遅れて宿が取れなかった。
これは山かなと気持ちを切り替えたものの、行き先の心当てがない。
そんな時に、先日メールで懐かしい便りをいただいた黒山さん(21M山本幸一郎氏)
がなぜか頭に浮かび、連想として「伊勢」から、行ったことの無いめぼしい山、
大台ケ原山となった。
大まかに初日は移動日、中日を登山にあて、3日目はまた移動日とした。
出来るだけ車で入れるところまで行って、テントを張るといういつものパターンを、
今回も採用した。
大台ケ原への自動車道は、冬季は閉鎖されていると予測していたが、あんなに手前で
閉鎖されていると考えなかったのが間違いだった。
東名、東名阪、伊勢自動車道と走り、勢和多気で降りて、42号を南下し尾鷲から
425号に入った。黄昏る頃、国道169号に抜け、新伯母峰遂道を出た直後を40号へ
左折しようとしたところで、通行止めの看板が出ていた。
何処まで行けるか確認しようと、ソロソロ進み5分もしない内に車止めがあって、
脇を抜けられないように、大きなショベルカーでブロックされていた。
諦めてUターンして道脇に駐車し、ヘッドランプをつけテントを張った。
闇の中、チラホラ雪の舞い始めた気配に、先行きの不安が増したが、まずは寝る
しかない。

徒歩で行く大台ケ原ドライヴウェイ


4時半に起床、空を見上げると、星が瞬いており「よし、行くぞ」と気合いを入れた。
高年になってくると、作業や行動がどうしてものろくなる。朝食の後、明るくなる
のを待って、水を補給しに少し林道を戻って沢に下り、支度を済ませて出発したの
は、6時50分になっていた。
昨夜は見えなかったが振り向くと、大峰山の山並みが西に傾いた大きく白い月を背
に意外な近さに現れていた。
伯母峰峠までは西北に面した日陰道、路面は部分的に凍り、吹く風も冷たい。
薄らと残る踏み跡は、昨日歩いたもののようだ。
伯母峰峠は風洞実験のような、強い風が流れるトンネルを抜けたところだった。
気温が低くて汗もかかない。歩き始めて約30分登ったところに、ゲートがロック
されており、身を乗り出すようにガードレールを跨いで、すり抜けることが出来た。

東南に向きが変わってしばらくは、アスファルトの出た道となったが、大台ケ原
15Kmの標識に、「エーッ! 片道4時間はかかるか!」と一瞬たじろぐ思いだった。
先を見ると、緩やかな勾配の車道が曲折しながら遥か彼方にのびていて、先端は
山を巻き込むように消えていた。
時々氷に足を取られながら、とにかく歩くより仕方が無いと覚悟をきめた。
やや早足にして黙々と歩を進める脇には、張られた金網をくぐっての崩落石が
目立ち、この自動車道の為に削られた山肌の傷が、まだ癒えていないことを
知った。
たらたらと単調に歩き続けると、色々な雑念が頭をよぎって行く。
2002年の夏まで仕事にあぶれずに済むと見込んでいた矢先に、先月31日に
「3月末で契約を打ち切ります」との予告を受けてしまった。
「そんな直後に、こんな山に来ている場合か」と自問自答してみたり、
「年寄りに厳しい社会を生き抜くには、これしきの困難は乗り越えなければなら
ぬではないか」と独り言したりした。

幸いなことに快晴に恵まれ、右手には大峰山の連なりから始まり、吉野の
山が重畳と奥行きを見せている。
闖入者に驚いてか、枯れた梢から二羽のホシガラスが「ゲェーッ」と鳴いて
飛び去った。
10Km近く歩いたのではないかと感じたところに、あと10Kmの標識が出て
きて、「ウーンたったの5Kmしか来ていないのか」と思わず唸ってしまった。
山の鼻を回り込む度に、そのはるか先に次の回り込みが消えていて、ウンザリ
する気持ちとの闘いとなった。「分け入っても分け入っても青い山」を文字
って「分け入っても分け入っても雪の山」と称えたながら歩いた。
路面もほとんど雪に覆われるようになり、轍の一部分が凍っているところを
見ると、ゲートを通れる工事関係者か、小屋の車が時々走るのだろう。
あと5Kmの標識を見てホットしたものの、しばらくへたり込んでぼーっと
してしまった。
動かないことには埒が開かないので、残り5Kmはもう何も考えずに、少し
でも前へと体を運び、11時30分に広い雪原となった駐車場にたどり着いた。

日出ヶ岳を目指して


さて目指す日出ヶ岳の登り口を捜さなければと、15分かけて駐車場を一周し、
踏み跡と標識を見つけた。
「2Km、1時間」とあった。
たどり着けないとしても最終引き返し時間を14時と決め、林間のトレース
に従った。
登りは緩く、雪も沈まず、これなら何とかなるなとようやく気持ちにゆとり
が生じた。
小さな沢を渡る時に、雪解け水の流れを見つけた。流れから直接飲むこの
うまさ、昨日から水を倹約してきた反動で、ゴクゴクと飲んだ。乾いた喉が
鳴り、その冷たさが何とも快い。
最後はキックステップも快調に効き、ひょっこりと日出ヶ岳の山頂に飛び出
した。時計は12時30分だった。
東には、今朝からズーっと付き合ってきた大峰山が山上ヶ岳、大普賢岳から
長々と南に延び、シラノドベルジラックの鼻のような行者還岳、1996年11月
に行った弥山、八剣山、明星ヶ岳と対面できた。

弱風(といっても頂上はそれなりに強い風)、快晴、相棒以外に人気無し、
長かったアプローチにもめげずに、93座目の100名山に登れた幸運と、あほ
らしい企てに付き合ってくれた相棒に感謝。このところ100名山のペースが
めっきり落ちて、昨年稼いだ荒島岳以来のプラス1座となった。

展望台の陰に風を避け、パン、チーズとヨーグルトの昼食、デザートは取って
置きのあんぽ干し柿だった。お腹だけでなく、心も満たされ、頬がゆるん
で仕方が無かった。
中々上がらない腰だったが、帰りも同じ距離を歩かなければならないので、
13時10分頂上を離れた。

行きはヨイヨイ、帰りは怖い

お互いにめっきり口数が減り、5Km刻みにして、ひたすら大腿骨の軟骨が
擦り減りそうな歩きに耐えた。凍った雪や氷にバランスを乱す回数も次第
に増え、登りよりもかえって時間がかかってしまった。
唯一気が紛れたのは、途中から二匹の黒犬が現れて、先導役をしてくれた
ことだ。きっと小屋の飼い犬なのだろう。途中荷物を積んだ軽トラックが立ち
往生しており、後から四駆の車がヘルプに来た。二匹はそのまま私達と一緒に
ついて下り、最後の最後まで付き合ってくれた。よく見ると真っ黒ではな
くて、焦茶色の縞が少し入っていた。
峠の手前で最後の休みを入れたのが17時30分、伯母峰峠のトンネルをくぐっ
てからの下り坂はすっかり凍っており、アスファルト露出部分、雪が凍った
部分、一度とけて氷になった部分が斑に交錯するので、何とも気が抜けない。
用心しながら降りているうちに日暮れてしまい、ついにヘッドランプの登場
となった。
車止めの点滅ランプが、長い歩行の終わりを告げて、18時30分テントに
潜りこみ、体を横たえて後、しばらくは動く気もしなかった。
大袈裟に言えば、1/25,000「大台ケ原山」の地図を斜めに、端から端まで
往復した訳で、荷を軽くしたから辛うじてもったようなものの、もう一度と
言われても勘弁して欲しいというのが正直なところだ。

帰路のドライヴ

前夜はホットウイスキーが回って、正体もなく寝込んだせいか、体の痛む
割には気分の良い目覚めだった。
スリップしないようにゆっくり転がして、戻った169号を今度は北上して
榛原市に出て、名張から久居経由で伊勢自動車道に入った。
東名も静岡あたりから渋滞気味となり、海老名近くでは15キロの渋滞に
もまれてしまったが、それでも夜の7時前に帰宅できた。

安易な山ではなかっただけに、満足感の得られた山行だった。

                   緑染爺 午坊
                   (24A 吉田 浩二)


00/10

2000年秋-20M宍戸 雨飾山・小谷温泉


10月23,24,25日、スキー合宿で思い出深い小谷温泉から雨飾
山に23年ぶりに女房と行って来ました。
23日は河口湖で雨の中のゴルフをしてからの移動で21時小谷温泉着。
23年前の若女将もすかり貫禄がついて、「お互いに孫のいる年代になり
ましたね…」から話が始まって、松室さんや、日比谷さんの家族のことな
ど良く覚えているのに驚きました。女将にとっても慶応の理工学部と医
学部の山岳部は懐かしい思い出のようでした。とにかく歓待を受けました。

3階建てエレベーター付の新館が出来ていましたが、旧館はまったく昔
のままで、風呂も変わったのは年寄り向けの手摺りがついただけ、湯滝
がとうとうと落ちています。
もちろん旧い方に泊まりました。
24日は快晴。山田旅館から車で3Km登った所の駐車場(オートキャ
ンプ場も有る)に車を置き、雨飾山に向かう。1.5時間で荒菅沢に着
く。ここで視界が急にひらけて500m上の雨飾山がすばらしい。
ここから1.5時間で頂上。360度の展望。北アルプス連峰から、眼
下に見える日本海、紅葉がすばらしい。ここで昼飯。下りは2時間強。
かなりの急登もあるが、駐車場から頂上まで800mの高度差、歩く距離
は4.4Km、中高年には手ごろな山で、百名山ということもあって登山者
も多い。山田旅館は紅葉で有名になってかなり混んでいた。
25日は湯峠まで車でのぼる。湯峠から見る紅葉の雨飾山の眺めもすば
らしい。湯峠の駐車場に車を置き大渚山のトレッキング(1時間)をす
る予定だったが雨のため中止し、鎌池におりて池の周辺を散策する。
紅葉の鎌池もすばらしい。
ところで、昔は遠かった小谷温泉も、今は東京から長野まで新幹線で
1時間、そこから白馬までバスで1時間弱、そこから小谷温泉の迎えの
車で40分、なんと2.5時間で行けるそうです。
夏から秋は大変混んでいるが、冬は昔と同じく静かに雪と遊べるそうです。
また、みんなで行きませんか。


00/10

カンチェンジュンガ・トレッキング-- 23C山田

カンチの報告は別ページに移動しました。


00/10

秋山郷から佐武流山へ -- 23M 岩永

今年の9月、地元有志の集団「前進倶楽部」とボランティアが3年掛かりで取り組んでい
た、秋山郷から佐武流山への登山道の整備が完成したと情報が入ったので、早速出かけて
きた。今までは、残雪期に白砂山を越えて途中1泊が必要な奥深い山であった。

● 高標山、悪沢峰(わるさみね)、佐武流山
● 2000年10月14日(土)〜16日(月)
● 23M岩永省吾、会社の山岳部員4名

○ 10月14日(土) 晴れ、曇り、霧。 −移動、高標山、ひだまり泊−
6時半、2台の車に分乗して、名古屋の東にある会社を出発。上信越道を中野でおり、
有料道路で志賀高原へ入る。オリンピックで道が整備されすっきりした。あまり大き
なダメッジは与えてないようだ。奥志賀に入ると、ちょうど紅葉が真っ盛りだ。多く
の車が路肩に止まり写真を撮っている。
かやの平のゲート前に車を置き12時出発。牧場では多くの人が弁当を広げている。最
初、林道を10分くらい下り登山道に入る。非常に歩きやすい、よく踏まれた道だ。カ
ラマツ林を過ぎると雑木林となる。ピークを越えて西に向かうと頂上の一角に出る。
三角点は西のはずれにあり、祠もある。こんな山はだれもいないと思っていたら、3
人のパーティーがいた。眺望はよさそうだがガスでほとんど見えない。3時前帰着。
紅葉をめでながら雑魚川に沿って林道を下る。鳥甲山の登山口には広い駐車場が出来
ていて、7、8台は止まっていた。切明で魚野川を渡り上の道で栃川高原のヒュッテ
”ひだまり”へ行く。
ここの主人の相沢さんが佐武流への登山道整備のまとめ役をしていたらしい。小屋
のすぐ近くに温泉、テニスコート、キャンプ場がありなかなかいい。夕食もかなり
こっていておいしい。事前調査で栄村に電話したところ、このヒュッテで林道の鍵
を借りことが出来るとの事で、そのことを切り出したら、そんなことはやっていな
いとの事。皆、愕然とする。これでは林道歩きが2時間半プラスされ、実動10時間、
休憩を入れると12時間の行動になる。この時期12時間はかなり厳しい。急遽、明
日は5時出発に変更する。主人の話しでは、佐武流から苗場までの道も整備する
予定、鳥甲の道や岩菅から烏帽子を通り切明への道の整備は出来ているといった情報
を得た。明日、佐武流へ行ったら、間違えて付けた標識をはずしてきてくれと、ビ
ール1本で頼まれてしまった。主人は昔、秋山郷の和山にある仁誠館で働いていた
とか。

○ 10月15日(日) 曇り、霧雨、 −佐武流山往復、雄川閣泊−
4時起床。頼んでおいたおにぎりを食べ、車で林道のゲートまで移動。5時20分
ヘッドランプを点け、5キロの林道を歩く。魚野川対岸の烏帽子がきれいな岩稜を
見せている。赤茶けた猿面山の山頂や立ち枯れの白い木のある悪沢峰も見えてくる。
月夜立岩を回り込むと登山口だ。
桧俣川へ200m下る。この道は昔の道らしく非常に歩きやすい。水無尾根を悪沢
峰に向けて一気に登る。相沢さんも言っていたように、旧道がわからないとこ
ろは一直線で道を付けたとの事。かなり急だ。登山口から約1時間で物思平と
いう樹林の中の平坦地に出る。この地名は、あまりにも作業が大変なので、続け
ようか止めようか物思いにふけったことによるとの事。急登の苔むした岩の隙間
の奥にヒカリゴケがあやしく輝いている。物思平からさらに1時間で悪沢峰だ。
木の根の上に苔が生えさらにその上に積もった落ち葉の上を歩く。ふわふわして
いて力が入らない。悪沢峰から苗場方面への分岐の西赤沢源頭までは標高差は
余り無いが、20m位の崖を降り、小ピークをいくつか越える。分岐から苗場方
面にも刈り払いはされている。ナラズ山への最低鞍部にある水場まで実施したと
の事。この付近からも佐武流山の姿は確認できない。ここから15分で坊主平に
出る。ボランティアのメンバーに僧侶がいて、この地で作業安全の読経をした事
により付けた地名だ。ここからさらに急坂を登り、小ピークを3つほど越えると
やっと頂上に着く。真新しい立派な標柱が立っている。この標柱も営林署(北信森林
管理署)の許可が必要で費用も3000円取られたとの事。おまけにこの標柱を作った
り設置したりした前進倶楽部の名前は入れてはいけないとの事だったらしい。まだ
まだ官僚の体質は変わっていないようだ。標柱の裏側には汗みどろになった人たち
の前進倶楽部と今年の9月3日の文字がナイフで刻まれていた。頂上からは西側以外
は眺望はききそうだ。今回はガスのため、苗場や上ノ倉山くらいしか確認できなか
ったが。また、三角点は探し出す事は出来なかった。白砂山方面へはうっすらとした
踏み後は確認できたがやはりひどい薮こぎが必要だろう。今日佐武流方面へ登った人
は13人、昨日もこれくらいいたそうだ。
来た道を引き返し、間違いのプレートを撤収して、ゲートには5時20分に到着。
ちょうど12時間だった。車に着く10分くらい前から雨が降り出した。そのまま、
切明の雄川閣へ行き、ここのフロントにプレートを預かってもらう。食事後、露天
風呂に入り今日の疲れを取る。
○ 10月16日(月) 雨、曇り、霧雨。 −移動−
朝のうち雨。雨が止むのを待って河原の温泉へ行く。切明に来たのは3回目だが、河
原の温泉は始めてだ。念のため、宿のスコップを持っていったが人が少ないため既存
の湯船で十分。このあたりの紅葉はまだだが、気分は爽快だ。
志賀高原に上がる。霧雨のため、今日の予定の八剣山と大二郎山の登山は取りやめる。
月曜日とあって、さすがに紅葉見物の人は少ない。湯田中に下り、渋温泉の玉川で
そばを食べる。名古屋の近くで、集中工事とやらで20キロの渋滞に遇い、多治見で高速
を下り、地道で帰る。会社着夕方の5時半。


00/9

旧友との戸隠周辺の山旅 --- 23M 岩永


同期の山田と戸隠周辺の山に行った。車が2台あったので、登山口と下山口を違った所
に設定できた。1日目は奥社から戸隠に登り一不動避難小屋泊、2日目は高妻を越え乙
妻まで往復し戸隠キャンプ場にテント泊、3日目は南登山道から飯綱山に登り戸隠スキ
―場へ下山。天候は今一つだったが、昔話をしたり、近況を報告しあったり、今の社会
に憤ったり、リタイアーした2人の楽しいウィークデイ山行であった。

● 戸隠山、高妻・乙妻山と飯綱山
● 2000年9月25日(月)〜27日(水)
● 23C山田邦夫、23M岩永省吾(L)

○ 9月25日(月) 曇り、時々晴れ、 −奥社から戸隠、一不動へー
吾妻2000の前山行に続き、2回目の山田との山行だ。須坂・東長野で高速をおりる。
長野市内でちょうど朝の渋滞に遇う。市内に尾張戸町や尾張戸神社がある。尾張戸
神社とは、大和朝廷統一前の尾張地方の豪族、尾張氏を祭る神社だ。名古屋市の最高
峰、東谷山(とうごくさん)にも同名の神社がある。七曲がり経由で奥社に向かう。
山田は2時間前に着き、仮眠していたとの事。名古屋からは4時間15分、東京から
は上信越道で来れば1時間近く早い。
1台の車を下山口の戸隠キャンプ場に置き、奥社入口から10時頃、歩き始める。苔
むした随身門を過ぎるあたりから続く巨木の杉並木に目を奪われる。石段になるとす
ぐ奥社だ。奥社と九頭龍神社にお参りし、カードを提出して出発。五十間長屋、百間
長屋、西窟と岩壁の基部が窪んだ岩屋が続き、八方睨からの稜線のコルに出る。すぐに、
蟻の門渡り、剣の刃渡りと呼ぶ両側がすっぱり切れ落ちた幅の狭い岩稜となる。15キロ
位の荷物を背負っており、風が強いので緊張する。蟻の門渡りには右下に巻き道があ
るが、剣の刃渡りには巻き道はない。岩場を登りきると八方睨だ。遠くは見えないが、
明日登る均整のとれた高妻がスマートだ。その左に乙妻も見える。妙高が雲の合間に
見え隠れしている。近くの木々は若干紅葉しているのもある。明後日行く予定の飯綱、
戸隠スキー場も直ぐ近くに見える。戸隠山を過ぎ、九頭龍山へ。垂直に近い岩壁の直ぐ
下に奥社が見える。九頭龍山の頂上には、三角点の標石はなく、平板に+印を刻んだ
基盤が転がっていた。一度登り返して急坂を下ると一不動の避難小屋だ。4時過ぎ到着。
15坪位の小屋を独占する。10分下の水場から2人で5?の水をくみ上げる。食事の
準備なども気心の知れた同士、気持ちよくことが運ぶ。昔の山仲間はいいものだ。
中社か戸隠スキー場か山の中なのに照明が馬鹿に明るい。1750mの高度のせいか夜
は結構冷え込む。後で分かった事だが、この秋、始めての寒波が来て、各地に初雪を
降らせたとの事。

○ 9月26日(火) 曇り、雨、曇り、小雨、 −一不動、高妻、乙妻往復、キャンプ場−
ラーメンと餅の食事を済ませ、6時過ぎにサブザックで出発。二釈迦へは急な登り。
東側は絶壁だ。三文殊、四普賢のあたりではリンドウの花盛りだ。五地蔵からは笹の
背が高くほとんど見晴らしはきかない。小ピークをいくつか越え九勢至を過ぎ、最低
鞍部から高妻への登りとなる。中ほどの勾配はかなりきつい。勾配が緩くなると、頂
上の南端に出る。十阿弥陀を過ぎ、大岩のごろごろした高妻の頂上に着く。高妻から
先はあまり歩かれてない。笹が少し低くなった部分が登山道だ。シラタマノキの花が
可憐だ。雨が降り始め、雨具を付ける。笹を掻き分けるのに手がだるくなり、胸で強
引に押し進む。稜線を右へ左へと何度も横切る。乙妻の手前には池塘の点在する高層
湿原がある。水場があれば気持ちのいいテント場になりそうだ。再び笹を押し分けて
登ると乙妻の頂上だ。1個の標識が笹の中に寂しげに立っているだけ。すぐに引き返す。
高妻の手前で岩永が木の上に乗り滑る。そのショックで50肩に激痛が走り座り込む。
高妻を越える頃、雨はようやくあがる。年配の男性が1人で登ってきた。そう言えば、
昨日も今日も出会ったのは1人だけだ。一不動の小屋着3時半。
今晩は下のキャンプ場泊りとし、雨具を脱ぎ、荷物をまとめて下る。不動滝の落ち口
から岩場を下り、すぐ帯岩のトラバースとなる。少し先で落石があり、見ると猿の群
れが落としたものだった。高度感のある滑滝を下り、沢に沿って牧場に出る。この頃
からまた、小雨がぱらつき出した。傘をさした女性が歩いてくる。先ほどの人の奥さん
だった。振り返ると直ぐ後ろに追いついてきていた。年配の人は68才だとか。なか
なかタフだ。キャンプ場着5時半。今晩は我々を入れて3パーティーだ。雨の中、
山田の車に置いていたテントを張る。高度が1200mと低くなったこともあり、昨日
より暖かい。

○ 9月27日(水) 雨、曇り、晴れ、小雨、曇り、 −南登山道、飯綱山、戸隠スキー場−
雨のため、予定していた霊仙寺山往復は取り止め、雨音が止んだ6時前に起きる。
まず、岩永車を下山口の戸隠スキー場に置きに行き、山田車で南登山口へ移動。別荘地
最奥の駐車場から、8時15分に登り始める。とてもよく整備されていて歩きやすい。
この登山道も一不動、二釈迦…と十五まであるそうだ。西登山道との合流点の手前から
笹原となる。また、雨が降り始める。神社のある頂上を過ぎ、三角点のある飯綱山頂上
に着く。雨は止み、少し陽が射し始める。小一時間待ったが、戸隠や高妻の頂上付近の
雲はどいてくれなかった。水曜日と言うのに、頂上には10人以上の人がいた。年配の
夫婦連れが多い。中には車に寝泊まりし、食事はコンビニ食という人もいた。
戸隠スキー場に下る。こちら側も幅広く刈り込まれている。瑪瑙山を越え、人気の無い
うら寂しいスキー場に2時半頃着く。中社にある、去年開業したばかりの神告温泉で汗
を流す。がらがらに空いている。大久保茶屋のそばで腹ごしらえをする。さすがにうま
い。長野市のラッシュを避けるため、ゆっくりとする。車で一眠りすると言う山田と
6時前に別れる。ループのあるオリンピックの時作られた立派な道路で浅川へ下る。
9時半に名古屋の自宅着。1時間遅く出た山田も同じ頃、東京の自宅に着いたとの事。
1年前、剣の内蔵助でアキレス腱を切ったという山田は、下りが若干歩きにくそうだっ
た。彼は、この後、10月3日から約4週間の予定でカンチェンジュンガのトレッキン
グへ行くとの事。とても元気だ。


00/8

2000年夏 飯豊、御神楽岳の記録


● 期 日:2000年8月12日(土)〜17日(木)
● メンバー:岩永(23M)、会社の山岳部員3人
● 記録

8月12日(土)晴れ 移動と鳥屋山登山
名古屋の東にある会社を朝4時、”ハリアー”にて出発。東名、中央、長野、上信越、
北陸、常磐道を通り、西会津ICで高速を下りる。今日は足慣らしのため、鳥屋山(581m)
に登る。登山口着13:00。この山には1等三角点があり、飯豊山の眺めがよく、
カタクリの群落もある。残念ながら高曇りで飯豊山はぼんやりとしか見えない。
往復約2時間。飯豊山の南東側の登山口、川入の民宿「村杉荘」へ。この宿の苗字は
小椋といい、やはり、木地氏だったとのこと。ご主人は「クマサン」で、今、御西
小屋にいるそうだ。つい最近、子供とTVにでたとか。網戸が黒くなるくらいの羽蟻
が部屋の中にも入り込んでくる。早々に明かりを消して寝る。

8月13日(日)晴れ 風強し 切合せまで入山
3時過ぎ起床、4時20分発。宿のおばさんに工事中の林道のゲートを開けてもらい、
おばさんに先導されて、小白布沢沿いに標高780mの駐車場まで上がる。途中、スイ
ッチバックあり。おかげで約1時間短縮できた。この道はおじいさんが作った道で、
途中におじいさんの名前をとった「秀吉の水場」がある。
急坂を登りきると、横峰小屋跡で従来からのルートに合流する。若干の岩稜を越え、
三国岳に着く。強風。小屋に「たばこの吸い殻はトイレの防臭、防虫に有用」の張り
紙有り。たばこが役に立つ事もあるらしい。12時前に切合せのテント場に着く。
さすがに、一番乗り。強風の中、一番いい場所にテントを張る。小屋には水も出て
おり、大日岳が目の前にそびえている。ビールは800円と高かった。小屋泊りの
人も小屋がいっぱいらしく外でカレーを食べていた。

8月14日(月)晴れ 西大日岳まで往復
3時起床。どうやら台風の影響はあまりないらしい。4時半、外出装備で出発。草履
塚は雪渓やお花畑もありいいところだ。飯豊本山小屋の手前の一王子にあえいで
登る。ここにもテント場がある。水場は北側に下るらしい。すぐに本山小屋、神社
と続く。ここから飯豊山までは15分。飯豊山から急峻な大_尾根が北に下りている。
目指す大日岳はまだはるか彼方にある。ここから御西岳までは稜線漫歩。お花畑が
延々と続いている。マツムシソウが多い。チングルマ、ニッコウキスゲ、コバイケイ
ソウ、ミヤマキンバイ、ヒナウスユキソウなどが見られた。なぜか三国岳から御西
小屋付近までの稜線は福島県が半島状に、山形県、新潟県の間に入り込んでいる。飯
豊山神社は福島県山都町にあるから、飯豊山まで福島県が入り込んでいると言うの
なら理解できるのだが、どうして御西小屋付近まで入り込んでいるのだろう。
大日岳へは多くの人が来ていた。しかし、西大日岳へ来るとさすがに人は少なくなる。
往路を戻り、テント場着、16時40分。テント場はテントで一杯になっていた。ビー
ルは売り切れ。しきりに嘆いていた。

8月15日(火)晴れ、夕立 下山と移動
3時半起床。5時40分発。夜露に濡れた笹をかき分けて種蒔山の三角点を探すが見
つからず。シラネアオイとヒメサユリが咲いていた。大ザックを置いて地蔵山へ行く。
ここでも三角点は見つからなかった。11時下の駐車場着。沢で体を拭き、服を変え
て、飯豊の湯で本格的にきれいにする。
今日の宿、金山町、湯倉温泉「鶴亀荘」へ車で移動。名前から期待はしてなか
ったが、なかなかいい宿だ。女将は「利き酒士」。主人が板前。気配りもいいし料理
もいい。野尻川で主人が釣った鮎の塩焼きも骨まで軟らかに焼いてある。全員気に入
り、明日もここに泊まる事に決定。

8月16日(水) 晴れ 夕立 御神楽岳登山
5時起床。おにぎりを食べ6時過ぎ出発。霧来沢(名前がしゃれている。下流には風
来沢もある)の林道終点(470m)まで車が入る。先客1台。車にアブが集まってく
る。虫よけを塗って防護する。これから沢を離れるまでアブの襲撃に遇う。先頭を歩
く岩永が一番ひどく、背中やお尻は真っ黒にアブがたかっていたらしい。八乙女滝
付近では左岸をへつる。ようやく沢筋を外れアブから開放される。3人が下ってきた。
小屋に泊まりご来光を見たそうだ。杉山ヶ崎の上にはカモシカがきれいに白骨化して
いた。左側の雪で磨かれたスラブは豪快できれいだ。熊打場の上の岩壁を登り、小屋
で休憩。単独行者が登ってきた。小屋から20分で本名御神楽、さらに40分で御神
楽岳頂上だ。ここからもスラブがすばらしい。8月半ばというのに、標高500m位の
ところにも、まだ、雪渓がある。
アブ対策として下りには汗臭くない服に変えたが、あまり効果はなかった。特に、
へつりのところでは、無防備となることを知っているらしく顔や腕を刺されてしまっ
た。合計100匹くらいはやっつけたと思う。へつりの下流の「八丁洗板」という、
傾斜の緩い滑滝はすばらしい。四国の滑床渓谷に匹敵する。小雨に打たれながら、
15時に車に着く。
宿に着いてから大雨。今晩は霧来沢の岩魚の塩焼きだった。霧来沢ではアブに血を吸
われたが、その仲間のアブなどで育った岩魚をおいしく食べたのだからと自分を納得
させる。宿の主人は池に岩魚を飼っている。夏は池の上の誘蛾灯で虫を集め、冬はど
じょうを与えているとの事。献立の数は15品くらい、昨日とはすべて異なっている。
さすがにプロの板前だ。

8月17日(木) 晴れ 雨 晴れ 惣山登山、帰名
6時起床。ゆっくり食事をして9時半ころ出発。沼沢湖畔にある惣山(790m)に登
る。こんな所に大きな火山湖があるとは知らなかった。船遊びや水遊びをしている。
往復、約3時間。車にたどり着く頃、雨が降り始めた。
2晩厄介になった鶴亀荘の隣にある「湯倉共同浴場」に入る。「岩永さん、背中半分
が真っ赤ですよ。」と言われ、名古屋で皮膚科に行ったら医者も感心していた。T
シャツ一枚では防護できないようだ。
23時45分、名古屋の自宅着。


00/8

蔵王そして姥湯から東大巓へ 23期(L)岩永省吾、山田邦夫


「吾妻2000」の前山行として、蔵王と東大巓へ行って来た。
山田との山行は卒業以来、36年ぶりである。
前夜、車で東京発。
2日目は足慣らしで蔵王へ、滑川温泉泊。
3日目は、姥湯から弥兵衛平経由で東大巓往復、姥湯温泉泊。
4日目は福島で「吾妻2000」に合流。
● 日時 2000年8月1日(火)〜8月4日(金)
● メンバー 23期 山田邦夫、岩永省吾(L)
● 記録
8月1日(火)晴れ
名古屋の自宅を17時半出発。山田の自宅近くのJR四ッ谷で21 時 集合。山田の
車は、まだ1000キロも走ってないビッグホーンの新車だ。3リットルのディーゼルだ
が、なかなか出足がいい。山屋さんらしくカーナビは付けてない。
山形道の宮城川崎で高速を降り、青根温泉の近くで2時間位、車中で仮眠。星がきれ
いだ。道路脇であったが、通過する車はほとんどない。

8月2日(水)晴れ、曇り、雷雨
朝早かったためか、刈田岳への道路のゲート番人はおらず無料で通過。刈田岳の
駐車場には5時50分着。レストハウスも閉まっているためトイレもない。熊野岳へ
向かうがガスで何も見えない。電信柱みたいなポールを目印に歩く。峠の避難小屋で
朝食を摂ろうとしたが、鍵がかかっている。しかたなく石室の陰で風邪を避けて朝食
を摂る。熊野岳の山頂は神社があり、だだっ広い。主稜線伝いに地蔵山を経て、三宝
荒神山まで往復する。三宝荒神山でコーヒーなど沸かす。今まで静かだった山もケー
ブルが動き出すと急に騒がしくなる。
帰りは馬の背から時々お釜が見える。水は緑色だ。対岸の崖の色と模様が印象的だ。
刈田岳にも登り、駐車場へ。さすがに多くの車が上がってきている。
遠刈田温泉を経て白石へ。ここで、昼飯に名物「温麺(うーめん)」を食べる。普通
の麺との違いは油が入ってない点だとか。福島へ出て、R13で板屋へ。ここからは
細い山道で滑川温泉へ。
まだ、早いので滑川大滝を見に行く。片道約30分。滑川から弥兵衛平へ行く道の
途中にある。汗をびっしょりかいて到着。日本名瀑100選の一つだそうだ。残念な
がら上3分の2位しか見えない。
宿に帰ると直ぐにものすごい雷雨となる。今日の宿、滑川温泉と明日の宿、姥湯温泉
は「日本秘湯を守る会」の会員だ。スタンプ帳を作ってもらう。
刈田岳駐車場(6:00)→熊野岳→地蔵山→三宝荒神山→(往路)→刈田岳→
刈田岳駐車場(11:00)→滑川温泉へ(14:00)→大滝見物→滑川温泉(15:30)

8月3日(木) 晴れ、曇り、雨
早めの朝食を済ませて7時40分発。姥湯への中間位置に車道のスイッチバックが
あるが、スイッチバック解消の工事をしているため、すぐ下の仮駐車場に車を置き、
宿泊用具を持って姥湯まで30分位歩く。宿泊用具だけ宿に預け、登山道の様子を確
かめて出発。
まず、薬師森への急登から始まる。薬師森の展望台は眺めがいいらしいが、今日は
あまり見通しが良くない。ここからいったん大滝沢に下り、滑川からの道と合流する。
潜滝の上で休憩。ここに若いワンゲルらしき6,7人のパーティーがいた。リーダーは
女の子みたいだ。南にトラバースした後、また急登だ。雪渓が見える付近から雨が降
り始める。雨具を出して弥兵衛平の端にある無人小屋明月荘へ駆け込む。2階には先
ほどのワンゲルの仲間7,8人と1階に若い夫婦がいた。今から思うとこのワンゲル
の連中はK隊が谷地平小屋であった明治薬科大学のワンゲルの連中だろう。小屋で
コーヒーやハニーレモンを沸かして雨のあがるのを待つ。小1時間後、東大巓に往復
する。道は先ほどの雨で沢になっていた。楽しみにしていた弥兵衛平の散策は時間が
なく取り止め。弥兵衛平湿原は林が境界となり、いくつもの湿原や池塘がちらばって
いて、そこを木道が縫っている。 明月荘の直ぐ前には明月湖がある。感じのいい高
層湿原だ。
小屋の下の水場で休憩。宿には約束の17時に25分遅れてしまった。びしょ濡れの
靴に新聞紙を入れて乾かしてくれた。感激。露天風呂から見る奇岩の景色は八ヶ岳の
本沢温泉の規模をもっと大きくしたようで迫力がある。
滑川温泉発(7:40)→仮設駐車場(7:55)→姥湯温泉(8:30〜40)→
薬師森(9:30〜40)→潜滝上(10:45〜11:05)→明月荘(12:25〜
13:20)→東大巓(13:50〜14:00)→明月荘下水場(14:30〜
14:45)→潜滝(15:45〜16:00)→薬師森(16:45〜16:55)→
姥湯温泉(17:25)

8月4日(金)晴れ、夕立
ゆっくりと起きる。仮設駐車場まで宿のバスで送ってもらう。工事は今年中に完了
するらしいが、木を切っただけであまり進んでいない。ビッグホーンで福島の町に
出る。ただし、西口になかなか着けず5分遅れて皆に合流する。
姥湯温泉発(10:00)→福島駅西口(12:05)


00/6

雨の久住山 馬目廣道(17M)

6月末の雨の一日,宿舎の臼杵より大分道湯布院ICからヤマナミハイウェーの牧ノ戸峠に車を置き久住山を往復しました.
ミヤマキリシマが僅か咲残る,緑が濃くなってきた尾根を時折雨がやみ視界が開けるなか,とぼとぼと歩くうち, 頂上に立っていました.

牧ノ戸峠ー久住山(1787m)往復5時間,片道5.6KM,高度差約500m.

帰路,筋湯温泉の打たせ湯で疲れを取り,湯布院でそばを食し臼杵に戻りました.
ミヤマキリシマ見頃:6月上旬
http://www.manome-eng.co.jp


00/6

火打山 31E齊藤惠志

6月初旬の週末。本当は5月の連休に行くつもりだった火打に行きました。連休には笹が峰まで
除雪が進んでいないということで、あきらめて白馬に鞍替えしたのでした。
前日の午後7時に川越を立って関越-信越道経由で10時すぎに笹が峰着。
明朝、スキーをザックに付けて横枝に悩まされながら高谷池への道を登る。山スキーをやるなら
やはり兼用靴と思って買ったコフラックのプラスティックブーツは脛のところが当たって非常に歩きにくい。
十二曲がりの急登を上がると黒沢岳からの尾根上を登る様になる。10分位上がったところから雪が
満遍なく尾根上を覆うようになり、スキーはシュリンゲとカラビナを付けて引きずる事にする。
高谷池に12時すぎに到着。高谷池ヒュッテに宿泊の手続きをして、外出の準備をする。
やはりスキーは引きずってまだ雪に埋もれた高谷池、天狗の庭といった雪原上を登った。途中,薮の中の
尾根にルートが取られており、またしても板をザックに付けることになって木の枝に煩わされる。
途中から尾根の雪の部分を歩くことが可能になり、ほっとする。山頂への最後の斜面には
結構な数の登山者が白い雪面に点々と見える。スキーを引きずって山頂までキックステップで登る。
風の強い山頂の登山客はほとんど中年以上。焼山がよく見える。遠くにかすんで北アルプスも見え隠れする。
天辺からスキーで滑るルートを確認するが、どうしても途中で何カ所かブッシュに阻まれてしまう。
5月だったら一直線に高谷池目がけて滑れるんだろうなぁ、とぼやきながら薮の薄そうなところを探す。
兎も角もどこかで薮を渡らなければいけないので、一番滑りやすい斜面をブッシュのところ
まで滑る事にして、頂上から気持ちよく正弦波を描いて滑降する。先月の白馬大雪渓の重たい雪とは大違いで
残雪期の山スキーはこうでなくっちゃというくらい爽快な滑降を楽しむことができた。
結局薮の一番濃いところは雪面が出ていないためブッシュ帯を下から巻き、若干登り返し気味に高谷池ヒュッテ
まで戻る。プラスティック兼用靴は形が決まってしまっているため、登りで足首から脛にかけていろんな部位で
こすれて痛くて往生した。結局中途半端な役立たずというのが兼用靴に対する私の評価である。


00/5

野反湖周辺の山に行きました 23M岩永省吾

5月3日から7日まで野反湖周辺の山に行ってきましたので
報告させていただきます。
3日は野反湖の東の八間山、4日は上信越国境の白砂山、
5日は野反湖の西の三壁山、高沢山、エビ山、6日は長野原の
日本武尊の伝説が残る王城山へ登ってきました。
標高1500mにある野反湖は、氷が溶け始めていてとても美しい
幻想的な色彩と面白い幾何学模様を形成してました。
2140mの白砂山はほとんど雪の世界でしたが、10パーティー位
入山していて驚きました。
はじめの3日間はオートキャンプ場でのテント暮らし、最後の日だけ
尻焼温泉に泊まりました。5月は雪解け水を放水するため川原の湯
には入れないと聞いてましたが、幸運にも放水しておらず、川全体の
温泉に入る事が出来ました。

予想に反して反応が多いのに気をよくして続報を書きます。
野反湖は昭和31年に出来た人造湖です。その前は自然の池だった
ようですがロックフィルダムで塞き止めたそうです。この年に佐久間ダム
も完成してます。佐久間ダムから建設機械を大量に使う日本の土建行政
が始まったとの事です。
野反湖畔のキャンプ場はまだ雪に埋まっていて、6月1日からしか開かない
とのことで、暮坂峠の西にあるオートキャンプ場を使いました。予想に反して
混んでいましたが、いわゆるモアウトドア派モの喧騒さはなく快適でした。
六合(くに)村には足掛け5日いましたが、いいところでした。新緑には
早すぎましたが、まるで5月の連休の弘前のように、桜と同時にすべての花
が咲いてました。王城山の麓では農作物をねらって来るかもしかにも
会いましたし、思いかげず、満開のカタクリの群落を見る事も出来ました。
野反湖の西のなだらかな山にはスキーを着けた人もいましたが、途中から
スキーはぬいでいました。この時期にスキーをやるのなら、南側から登って
三壁山の方から下りた方がいいのではないかと思います。
山に行かなくても車で行くだけでもいいところです。温泉もいくつかありますし、
暮坂峠には若山牧水の歌碑があり、開国論を唱えて追われていた高野長英
もここにしばらく身を隠していたとの事です。


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Mountain in May  24A 吉田浩二

最近手がけている仕事の関係で、情けない思いをしていささか
意気消沈しました。
ドタバタが続いていて、間際まで踏ん切りがつきませんでしたが
こんな時こそ山の懐へ入ろうと、急遽連休に出かけました。

5月3日は、渋滞の中央道につかまりながら岡谷、飯田と真っ白
な南アルプスの裏側を眺め、小牧から名神高速へ、一宮から東
海北陸道に入り、福井県に達して白鳥西で降り、九頭竜湖を回
って、日没後に荒島岳の麓、中ノ出(なかんで)にテントを張りま
した。

4日は曇天でしたが、小荒島岳を経由して私にとって92番目の
百名山となる荒島岳(1523m)に登りました。
上の方は雪が十分残っていましたし、少し眼を移すと桜やマンサ
クの淡い色が楽しめました。
距離の短い勝原(かどはら)コースが人気で、私の歩いた中ン出
コースとは、途中石楠花平で合流するのですが、中ン出コースの
人を1とすると勝原コースの人は100ぐらいの割合になります。
予想はしていましたが、相当な賑わいでした。
この日は、午前中ガスがかかっており、頂上では残念ながら視
界を得られませんでしたが、下山途中で晴れてきて、白山が見
えました。
スミレは期待通りでしたが、イワウチワの群落やキケマン、ショ
ウジョウ袴の群落に出会いました。
帰ってから調べてわかったものの中にヤマエンゴサク、ネコノメ
ソウがありました。車を六呂師スキー場の駐車場に移動させて
テントを張りました。

5日は気持ちの良い快晴でした。県境の山を除いて、福井県内
部で一番高い山という経ヶ岳(1625m)に登りました。
ここでは、鮮やかな紫と輝く白のキクザキイチリンソウの群れが
印象に残りました。
この日は視界に恵まれ、前日に登った荒島岳の姿がひときわ美
しく見える位置にあり、北方には白山や別山がボリューム感を見
せていました。
頂上は風も無くぽかぽかしていましたし、人もほんのわずかしか
いませんでしたので、気兼ねなくオカリナの練習が出来ました。
下山後、寝袋を干してからまた車を移動して157号線を走り、岐
阜県との境、温見(ぬくみ)峠にテントを張りました。

6日早朝、岐阜県との県境で一番高い山、能郷(のうごう)白山
(1617m)に登りました。
峠からピストンで約3時間少々と省エネのコースですが、頂上近
くは残雪たっぷりで、春山の味わいでした。
カタクリが多いと聞いていましたが、少し時期が早くてほんのわ
ずかしか見つけられませんでした。
早出したお陰で8時半には、車を置いた温見峠に戻り、帰路に着
きました。
福井県の山は初めてでしたが、残雪の山々は、それぞれに味わ
いのある山でした。
帰りは越前大野から金沢に抜けて北陸道に入り、上信越、関越
とたどってきました。
途中草臥れてもう駄目と思ったところで、仮眠して帰宅したのは
7日の早朝になりました。

こんな具合に嫌なことは全て忘れて、久しぶりに残雪の山を満喫
いたしました。
こういう楽しみを持てた訳ですから、多少悔しい思いをしながらも
今の仕事をしばらく続ける元気が戻りました。

宮原さん、岩永さんと直近の先輩方が同じ様な時に山遊びをされ
ているのを知り嬉しくなりました。

今年も1月2回程度のペースで、低い山も高い山も時々に応じて
歩いていきたいものです。


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白馬大雪渓 31E齊藤

メンバー:31E齊藤 + 会社の同僚2名

4/28
  18:20 川越発----信越道--長野--オリンピック道路--白馬--二股の発電所
 ゲートが閉まっていて二股より以上には上がれず、駐車スペースにて幕営
 雪が多いため白馬山荘も閉まっているという看板が付いていた。

4/29
 ゲートの管理係のおじさんたちが上がってきてタクシー等の営業車を通し始めた。
 9時に下りてきたタクシーを拾って猿倉へ向かう。タクシーの運ちゃんにInternet
 革命の講釈を聞かされる。曰く、地元の人間が知らなくても黒菱に雪が降って滑走
 可能だ、と遠くから人がやって来る。何故か、
 それは最初に来たスキーヤーがインターネットで情報をばらまくからである。云々。

小屋は連休中に開けるのは難しいと言うおっさん達の言葉を信じて,大雪渓の途中
から滑って降りることに決め日帰りとする.

 10:00 猿倉の100mほど手前から歩行開始
 14:00 大雪渓途中より滑走開始
 15:00 車道
 16:00 二股 -- 小谷温泉へ向かう

 ちょっと時間はいい加減ですがおおよそ合っているはずです。
 雪が多いのは3月に入ってからの降雪量が例年になく多かったからだそうです。
 さらに林道にまで及ぶ大きな雪崩が起きたため、その範囲では大量の倒木がデブリ
 となっていて、それを排除するのに手間がかかって猿倉まで除雪できなかったよう
 です。連休前も降雪があり、大雪渓の中も若干のラッセルを強いられました。下り
 は重い雪でターンがなかなか思い通りにいかず何回もスッテンコロリンしましたが、
 天気も悪くなかったこともあり、久々の白馬を楽しんできました。

4/30 小谷温泉から雨飾方面へ除雪されている限界まで行って雨飾山を見てきました。
 何年か前の連休に来たときに比べやはりかなりの残雪量でした。