24期吉田さんの感想です。メール内容を転記します。
24A 吉田浩二です。
吾妻山では、皆様に大変お世話になり有り難うございました。
F隊の記録を岩永さんと山本さんにまとめて頂きましたので
何か感想でもと思いましたが、一日一日がすぐ終わってしま
います。
ミュンヘンに滞在している娘、愛梨(エリ)にメールした私の夏
休みの報告を、感想代わりに添付いたします。
8月12日、13日で清水から米子沢に行ってきました。
コメコとおもっていたら、地元はコメゴといっていました。
久しぶりの沢で、バランスもだいぶ悪くなっているなと感じまし
た。入渓地点からしばらくは無粋な堰堤が続き、興ざめでした。
一ヶ所滝の高巻きで、巻きすぎてしまい時間をロスしましたが
二俣付近からは高山植物の花が出迎えてくれ、良い時期に
来れたとおもいました。
同行者に教わり覚えた花は以下のものです。
ハクサンコザクラ(群落)、クルマユリ、ミツガシワ、コバイケイ
ソウ(群落)、ムシトリスミレ、リンドウ(何リンドウかは未確認)
イワカガミ、アキノキリンソウ、ヤマユリ、キスゲ、オタカラコウ
シラネニンジン、ワタスゲ、モウセンゴケの白い花、コケモモ
ウサギギクでした。
ようやく風に秋を感じますね。
皆様お大事に。
愛梨様
ミュンヘン辺りでは、そろそろ秋の気配が漂い始めたのではないでしょうか?
短期契約の繰り返しという変則的な働き方をしている為、長期の休みが取れずに
いますが、8月の4日から6日まで山岳部OB会の夏山に参加して来ました。
福島県と山形県にまたがる吾妻連峰です。
家形山の下に慶応吾妻山荘があります。学生時代に世話になった山荘は、火事で
焼失してしまい、その後に建てられた二代目の山荘です。食堂には槙有恒さんが
筆をとられた看板が掛けてありました。
4日の入山は、大宮からの車に便乗させてもらい、福島で野菜・肉・漬物の買出
しの後、新幹線でついたグループ、2日前から蔵王や吾妻を歩いたグループと合
流して、吾妻スカイライン途中の不動沢まで車で入り、そこから約2時間の登り
でした。まだ陽の高いうちについて、懐かしの面々と外で早くから飲み始め、
後発グループが到着する前に、すっかり酩酊してしまいました。
血糖値を気にして毎日飲まないようにし始めてから随分とお酒に弱くなり、我が
家の監督からも、ある量を超すとグデングデンになってしまうのだから注意して
くださいと再三言われていました。にもかかわらず楽しい雰囲気につい我を忘れ
て、昔と同じようなペースで飲んでしまった結果、ついにはベンチから転げ落ち
てしまいました。
同じ話を何回も何回も繰り返して、周りのOBは「困った奴だ」と思ったに違い
ありません。当の本人は一夜明ければ何も覚えていないので、どのくらい迷惑を
掛けたのか自覚がないまま、飲み過ぎの反省をしていますが、効果がいつまで続
くのやら自信がありません。日頃の鬱屈をこんな時に発散して、かろうじて精神
のバランスを保っているのかも知れません。
翌5日は、F1隊として一期先輩の岩永さん、山田さんと一緒に東大巓往復を目指
して、6時前に山荘を出発しました。
一切経の半月のような稜線の見える五色沼の上に出た頃は、気持ち良く晴れてお
り、沼も朝の爽やかさに包まれて、群青の水面に縮緬のような細かい波が光って
いました。
ここまでは無機質な石の道でしたが、家形山を過ぎて西に向かうところから樹林
を縫うようになりました。水捌けの悪い地質なのでしょうか、足元は湿地の泥道
となり林間漫歩を楽しむようには行きません。右に避け左に避けながらしばらく
歩いているうちに、ロングスパッツはもとよりズボンの膝上まで泥で黒く汚れて
しまいました。
偽烏帽子で一本立てたので、烏帽子の頂上では腰を下ろさず立ち止まって眺める
と、左手はガスで霞みはじめてきました。昭元でもう一本立てるころは既に空腹
を感じました。一度下って緩やかな登りを行くと、ようやく湿原が開けてワタス
ゲの群生が風にそよいでいました。
今日の折り返し点の東大巓は、道から外れ15メートルほど高くなったところに
標識が建っているのですが、木に囲まれていて展望が全くない地味なピークでした。
湿原の見える場所まで戻り昼食にしました。パンと愛梨さんから教えてもらった
オニオンチーズを持参しました。
岩永さんはスティックコーヒーとデザートにフルーツゼリーを、山田さんはレモ
ンとスティックシュガーを提供してくれました。お湯を沸かして、おいしいコー
ヒーとレモネードが山の昼食を豊かにしてくれました。
湿原の風は既に秋を感じさせます。トンボが群舞するのを目で追いながら、オカ
リナを取り出して、2曲吹奏しました。
頃合いになって帰路につきました。今度は様子の分かっている道のせいか、時間
的に短く思えます。
心配していた雨がポツポツリときたのは、昭元まで戻った時です。しだいに雨脚
が強くなって、雷鳴も加わりました。一度はびっくりするほどの大きな音のする
落雷で、しばらく残響が続き怯えました。
その後雨は小降りとなりましたが、道の両側から伸びている笹がたっぷり水を含
んでいて、雨具を通して水浸しでした。
3人とも靴の中で溜まった水が歩くたびに、グジュッ、グジュッと音を立てます。
道はドロドロ、笹はベチャベチャ、靴はグチョグチョの歩きの最中に、物静かな
山田さんが突如「きれて」しまいました。
「よくもこんなコースを選んで、勝手に俺をノミネートしてくれたな!夏歩くよ
うなところではないよ」。
自分もそろそろ泥んこにうんざりしてきたところだったので、何か代弁してもら
ったような気になり、思わずニャッとしましたが、吾妻山でこの気象なら、どの
方面に出た他のグループも同じようにずぶ濡れになっているだろうなと思いまし
た。
元々は山スキーを楽しむ地形と気象なのでしょう。
雨に背中を押されて、烏帽子からは休憩も取らず一定のペースで歩き続け、山荘
に着くと黄色の雨具をまだつけたままのD隊の清水さんと、昨日日没で入山を延
ばしたA隊のメンバーが出迎えてくださいました。
濡れたものをすっかり取り替え、さっぱりしたところで急に空腹を感じ、お昼の
残りを口にしました。
この日の夜は、紅茶会で1期の山本さん(80歳)、2期の田中さん(78歳)の
お話を伺ったり、古い山の唄を皆で歌いました。
昨日の飲み過ぎの失態を繰り返さぬように、スローペースで飲むようにして、事
無きを得ました。
下山の日は、少し寝坊をし8時に山荘に別れを告げました。超スローペースで山
本さん、田中さんのエスコートをしながら、不動沢にむかいました。道々日野さ
んから通りすがりに山の植物、花の名前を教えていただき、ゆっくり歩きながら
の楽しみ方を披露してくださいました。
黄色のかわい気な花が、「弟切り草」と恐ろしそうな名前がついており、いずれ
伝説か昔話の由来を持っているのでしょう。今度調べてみます。
途中、セカンドを歩いていた78歳の田中さんが、1回転着地のハプニングに見舞
われましたが、何個所かの擦り傷だけで済み、大事にならなくて良かったと安堵
しました。トップを歩いていた私が次の足場を指示する前に、田中さんの掴んだ
木の枝に体が振られて、ストップが効かなかったのが原因でした。
山荘の管理を委託されている安達屋旅館の露天風呂で一浴し、大盛りそばでお腹
をこしらえました。帰り車は、山田さんの新車いすゞのBighorn(3000cc)に便乗
させてもらうことにし、山田さんと同期で1期先輩の久保田さん、斎藤さんと同乗
しました。
山田車に流れるカーステレオは、一度聞いても覚えられないような、バイオリン
曲やチェンバロの曲です。斎藤さんとの会話も「無伴奏バイオリン…」とか当代
第一人者のピアニストとかが飛び交います。8月4日の「コロッケ公演」を泣く泣
く諦めて譲ってきた話などし難くて、黙っていました。(きっとコロッケが誰か
分からないでしょうから)
更に久保田さんも入って、塩野七生さんの「ローマ人の物語」に話題が及び、昔
山に一緒に登っていた頃には想像もつかない(少し失礼かな?)ような、知的な
生活をされているのが伺えました。
私も刺激を受け、遅すぎることはないだろうから、クラッシック音楽も少しずつ
聴いて見ようかなと思いますが、ビギナーに聞き易いものをガイドしてくれる人
が欲しいなと人頼りです。
こんな訳で、西日暮里駅に送ってもらうまでの間は、NHKの教育番組を視聴し
ているような知的好奇心を刺激される有意義な時間でした。
私にとって「山歩き」は、ストレスに対する漢方薬みたいなものではないかと考
えています。山の花に出会ったり、野鳥の囀りに耳を傾けたりしながら、出来る
だけ長いこと山に親しめたら良いなと願っています。
ドイツはワンダーフォーゲルが生まれた国ですし、シュバルトバルトも酸性雨の
被害が出始めているとは言え、広大な森でしょうから早く尋ねたいのですが、ま
だ自由時間を手に入れていないのと、不安定な職ながらもうしばらくはしがみつ
かなければならない事情もあって、ままなりません。
児玉さんから、手紙が届きました。愛梨さんは、東京よりもドイツの自然の中に
いる方が活き活きしていると感想を述べられていました。
今度は林学ですか?
9月には、お母さんが尋ねますので、良いところを案内してあげてください。
それでは、2年目の学期も体に気をつけて、エンジョイしてください。
浩二