中田のヒヤリハット、若しくは、登山の危険

1.穂高屏風岩のど真ん中のテラスで孤立(懸垂下降の危険)

 夏休みに、結婚する前の家内と二人で穂高に行ったときの絶体絶命の一歩手前の話です。計画は、まだ登っていない穂高の主だったルートを全部登ろうという、結構、意欲的なものでした。最初に横尾にテントを張り、屏風の「雲稜」(フリー主体の好ルート)と「緑」(緑ハングをダイレクトに越える人工のルート)を登る計画で、初日に「雲稜」を登り、同ルートを懸垂下降しました。屏風の下降は、東稜ルートが一般的でしたが、登るときに各ビレーポイントに下降用支点がしっかり作られていたのを確認し、十分懸垂できると判断しました。実際、スムーズに下降できたと記憶しています。
 翌日、「緑」を登り、前日下降に使った「雲稜」の下降をはじめました。最初は傾斜がゆるく、ルートに沿って降りていきましたが、途中から(人工のピッチの終了点+1ピッチぐらいから)壁が立ってきたので、ルートを外れてまっすぐ降りてみたところ、下降点付きの立派なテラスがあり、そこで切りました。前日はルート沿いに下降したのでこのテラスは使っていません。セルフビレーを取り、ロープを引いて動くことを確認し、家内(そのときは結婚していませんでしたが、文中ではそう呼びます)に降りてくるように指示しました(標準手順通り)。家内が下降後、ロープを引くと、スムーズに動き、上の支点からロープは外れて落ちてきました。
 ロープ1本分は落ちてきましたが残りが下まで落ちてこないので、引いてみるとびくともしません。ロープの結び目は落ちているので、途中の木に絡んだとしても大したことはないだろうと楽観して、カラビナで滑車を作って引っ張ってみましたが、だめです。頭上は垂壁で、その上がゆるくなっているため、見通しが効きません。登り返して外すというのがセオリーですので、ハーケン沿いに人工で登ってみましたが、余り登られていないルートらしく、体重をかけたハーケンが抜けていくが分かり、やめました。左上のクラックがあったので、家内がフリーでトライしましたが、垂壁で抜けられそうもありません(フリーは家内のほうが上手)。
 上が駄目なら次は下です。ロープ1本分の20mで、次の下降点に届く可能性は低いですが、偵察も兼ねて5mほど下降してみましたが、やはり下降点は見つからず、元のテラスまで上り返しました。屏風のど真ん中のテラスで行き詰まってしまったわけです。
 ここからの正しい行動は何なのか、今でも良く分かりませんが、実際に取った行動は次のようになります。場所から考えて、40m下れば扇テラスに出られると考え、末端を下降点に固定したシングルロープで私が下降しました。途中、下降点に使えそうなハーケンが壁の途中に何本かあることを確認し、かつ、扇テラスに続く階段状の岩場まで届きそうだったため、そのままその岩場まで下降しました。次に、万が一の場合、登り返す必要が出てくるので、ロープの末端は岩場に固定しました。その後、家内に通常の懸垂下降用のダブルロープにセットしなおして下降し、壁の途中のハーケンで下降点を取り直すことを指示しました。
 岩場に固定したロープの末端を解き、ロープは上に引き上げられていきます。家内はクライミング自体は上手いのですが、登山自体の経験はそれほどでもなく、上手くロープのセット等をやってくれなければ、大変なことになると予想できます。今でもこのときの光景を思い出すと、冷や汗が出てきます。
 結果的には、指示通り上手くいき、扇テラスからはシングルロープ20mでルート沿いに下降することができました。ロープが一本になったことから、奥又白と滝谷の登攀は中止し、北尾根を登って、涸沢でのんびりして帰ってきました。
我が家では「緑の祟り」と呼ばれている事件を紹介しました。
この事件からの教訓は何でしょうか??
教科書的には、懸垂下降の手順通りであり、ロープが絡まることを予見、防止することは不可能だと思います。屏風以上に木の多い下降ルートはいくらでもあります。その後の対応に関しては、ボルトを持っていましたので、20m下降した位置にボルトで下降点を作ればよかったと、山岳会の人に言われました。これが正解のように思いますが、ボルトは3本だけでしたので、もう1ピッチ高い位置で捕まれば、これでは脱出できません。予備にロープをもう一本持っていくというのが考えられますが、少しでも荷物を軽くしたい登攀では非現実的です。これはと言う意見があれば お知らせください。私はというと、この事件以来、壁の長い下降が必要なルートは登っていません。 



2.冬山の下降は慎重に

 3年生の春に同期の吉武と一緒に南アの北岳に登りに行ったときのことです。ボーコン沢の頭にテントを張り、そこからアタックをかけました。朝の天気は、高曇り、若しくは弱い冬型だったと記憶しています。頂上に近づくに従い天気は悪くなり、登頂後の下りは、早々に視界が効かなくなりました。頂上付近はガレ場で、目印になるようなものは少なく、地図と磁石で方向を決めて適当に降りていきましたが、すぐに行き詰まってしまいました。偶然、一瞬だけ雲が切れ、方向修正ができ、事なきを得ましが、どういうわけか北岳小屋のほうに進んでいたように記憶しています。吉武には、トップが悪いと言われましたが、ルートを修正できないリーダも悪い、どっちもどっちと思っています。
 この事件からは、しっかりした教訓を学び、それから十分に活用しています。ステップアップできたと思っています。

・ 冬山で(山登りはでもかまいません)難しいのは、下りである。
・ 同ルートを下降するのであれば、登るときにルートの特徴を良く見て、地図で確認しながら登る。
・ 下りは、地図と磁石でこまめに位置の確認を行う。雪山はがんがん下れる場合が多いが、ルートのはっきりしないところでそれをやると、位置の確認が難しくなり、軌道修正に大変なロスを招く。
・ 位置が確認できなければ、できるようになるまで動かない、若しくは、分かるところまで登り返す。幸い、慎重に下るようになってから、このような事態には遭遇していませんが。

いろはのいのようなことですが、長生きしたければ重要です。



3.笹薮を侮ってはいけない

社会人になった年の5月のことだと思います。新しく入った山岳会に余りなじめず、一人でスキー山行や沢登りによく行っていました。奥秩父の水晶沢に行こうと思い、日比谷さんを誘いましたが、直前で日比谷さんの都合が悪くなり、一人で行くことにしました。水晶沢は一人では厳しいので、和名倉山に出る沢を登ることにしました。水晶沢を途中まで遡行したのですが、泳いで渡渉したり、シュリンゲをつないで懸垂したりしで、一人でやるには結構スリリングだった記憶があります。途中から、和名倉山に出る滝沢(だと思った)に入り、幾つか滝を越えていくと、とても登れない20mぐらいの滝が出てきました。巻き道も判然とせず、突っ込んで行き詰まったら、元には戻れません。遡行図に記述がなく、沢を間違えてのだと判断し、戻ることにしました。幾つか滝をクライムダウンしながら下っていくうちに、暗くなってしまい、ビバークになりました。寝ながら、こんなところで遭難したら、絶対見つからないから、皆に迷惑かけるなーといろんな人の顔が浮かびました。
翌日、明るくなってから、下降をはじめると、すんなり沢の途中にあった登山道(林道?)に出ることができ、無事に帰れる目処がつきました。
ここから、本題の笹薮の話しです。朝も早いし、登山道があるなら、雁坂峠のほうに抜けて帰ろうと考えました。地図を見ると、登山道が幾つか書かれています。現在地点は、はっきりしないが、夏道だし、適当に登っていけば大丈夫だろうと考えました。後で考えると、この地図(国土地理院の5万分の一)が曲者で、家の近くの本屋で店の奥底から探し出したもので、かなり古いものでした。
最初、しっかりしていた道も踏み跡程度になり、やがて笹薮が大きくなり、踏み跡も途切れ途切れになりました。途中、踏み跡は尾根に向かって90度曲がっていましたが、その先は笹薮しか見えません。なんとなく、危険な気がして目印にコンビニの袋をぶら下げて置きました(北岳の教訓が活きていたのかもしれません)。笹薮に突っ込んでみると、踏み跡は全くありません。それでも、稜線に出ればルートは明瞭だし、道もあるだろうと考え、突き進んでいきました。体力が消耗し、体がぼろぼろになっていきますが、見通しは効かず、現在地点も分かりません。途中に大きな岩があり、よじ登ってみると、稜線は遥かかなたです。気合を入れなおして、さらに進んで行きましたが、体のエネルギーが切れていくのが分かりました。少しばかり残っていた水を飲んで、少し冷静になり、このまま進んでいったら、エネルギー切れで遭難すると悟り、引き返すことにしました。笹薮を下るわけですが、下りすぎて沢近くまで出てしまうと、危険だろうと予想できましたので、慎重にくだりはじめました。しかし、視界は利かず、現在地点も分かりません。ラッキーにも、目印のコンビニの袋を見つけることができ、元の道に出ることができました。しばらくは、足ががくがく震えて、歩きづらかったことを覚えています。
無事、家に帰った夜は、一晩中うなされていたと、親父に言われました。会社の同期の女性には、笹薮の切り傷だらけの両腕を見つけられて、まともな人ではないことが、ばれてしまいました。 

この事件の教訓は、笹薮をなめてはいけない、の一語です。その後も、沢登りの詰めで、笹薮や根曲がり竹の藪を何度も突破しましたが、この教訓から、日程計画と心構えに余裕を持って臨んだので、問題ありませんでした。笹薮が危険なのではなく、笹薮を甘く見て、時間や体力の配分を間違えることが危険なのです。東北の大深沢の詰めでは5時間ぐらい根曲がり竹を藪こぎしましたが、そんなものだと思っていましたので、どうと言う事はありませんでし、白砂川の時は、2時間ぐらいで藪こぎが終わったので拍子抜けしたぐらいです。



4.まとめ

登攀時の墜落や、雪山の滑落も結構やりましたが、前者はロープが(ビレーヤーが?)止めてくれましたし、後者はピッケル・ストップで止まりましたので、通常の登山の範疇だと思っています(下が平らで、偶然止まったり、金清さんに止めてもらったこともありましたが)。
今回紹介した3件は、私自身への教訓としてしっかり記憶し、活かしているものです。最初の屏風の話は、最大の危機でした。今でも、家内には大きな貸しがあるように感じています。