甲武信岳(徳ちゃん新道から)

昨年に続き友人のI君と甲武信岳に登った。 昨年は廻り目平の先の毛木平から登ったが今
回は反対の南側からである。I君は65才の記念にと源流ウォークを計画し、昨年は新潟の
信濃川河口から千曲川源流のある甲武信岳まで368キロを7区間、16日掛けて一人で歩き
通した。 その最後のステージである、毛木平から甲武信までを夫人と共に同行させてもら
った。 I君は今年さらに富士川、笛吹川を遡行して甲武信まで行き、日本海と太平洋の間
を歩いて結ぶと言う壮大な計画を立てた。 そして今年もその最後のステージを同行させて
もらった、と言う次第。 彼は今回もすでに河口から富士川、笛吹川を歩いて西沢渓谷入り
口まで踏破したが、昨年のような源流ポイントは通れないのでそれに近い「徳ちゃん新道」
から甲武信を目指すことになった様だ。 標高差の大きい長時間のこのコースは厳しいため
夫人は同行しないことになった。

   記録
   2007年6月12日(火) 天候 快晴
     メンバー I君と山本の2名
   
     0610 西沢渓谷入口駐車場発
     0830 戸渡尾根開始の合流点
     1045 木賊山
     1120 甲武信岳頂上
     1400 合流点
     1555 駐車場着
   
   合計 9時間45分  実働 8時間17分

予報通り快晴となった6月12日、140号線沿いの「道の駅みとみ」隣の村営西沢渓谷入口
駐車場から歩き始めた。 車道を進み整備された西沢渓谷遊歩道の入り口を過ぎて、見落と
しそうな登り口から「徳ちゃん新道」は始まった。 ヌク沢と鶏冠谷からの猛烈な蛙の合唱
を聞きながら、すぐに急な登りの連続となった。 延々と続く展望の無い樹林帯の中の急登。 
汗を高度に変えながら登り、やがて勾配が緩やかになった処に石楠花のトンネルがあったが
すでに盛りは過ぎていた。 合流点を過ぎて戸渡尾根になるとまた石楠花の群落があり、こ
こでは蕾から大輪の花まで今を盛りと咲いていた。 色合いがまるで中国のおみやげ品の様
だ。 元上海支店長のI君も全く同感とのこと。 木賊山の手前でいきなり広い岩場に出て
南側が開けた。 そこからは眺望もきき、鶏冠谷越しに今朝通ってきた広瀬湖が望めた。 木
賊山頂上は立派な標識と三角点もあるが完全な樹林帯の中である。 「木賊」とは初め読む
ことも出来なかったが、過日木工の達人である別の友人は即座に「とくさ」と読み、「日本
製サンドペーパーのことだよ」と教えてくれたことがあった。 調べてみると、シダ科の植
物で硬いざらざらした茎は細工物を磨くのに使われた、とあった。 「砥ぐ草」→「とぐく
さ」→「とくさ」 こんなことを思い起こしながら下って行くと突然開けたザレ場に出て、
そこから初めて甲武信岳が望めた。 ここからの甲武信はピラミッド型をしてなかなか格好
良く見える。 甲武信小屋の前を通り、また一登りでようやく見覚えのある頂上に着いた。 
頂上では100名山ハンターのおばさん、おじさん達に遠慮しつつ、I君の源流歩き達成を
祝福し、型通り彼の記念撮影をした。 ちょっぴり羨ましい気持ちである。 聞けば今回の
富士川河口からは132キロ、6区、6日間とのこと。 すると昨年と併せて丁度500キロ
になる。 途中で撮り溜めた写真は web でも見たが、彼の脳裏にはもっともっと様々な光
景や歩きながら考えた事柄が蓄えられ、人生の貴重な財産になったことだと思う。
 帰りは木賊山を捲き、後は来た道を引き返した。 下りとは言え、これだけ急で標高差が
あるとうんざりもするし、膝や大腿に負担が掛かる。 二人で戒め合いながら慎重に降って
いく。 腕の高度計は面白いように数値が下がっていくが、それでも途中で「まだ後、東京
タワー2本分も下るのか」などと思い、またまたうんざり。 しかし下に下るにつれ往きに
は気が付かなかった、から松の新緑が美しく目に映え、蛙の大合唱が聞こえ出した。 こう
して10時間弱の行程も無事に終わり、I君は勿論、同行しただけの自分もそれなりに達成
感のある山行となった。


石楠花のトンネル

広瀬湖を望む

木賊山山頂

木賊山の下りから見る甲武信岳

甲武信岳山頂より金峰

甲武の下りから見る木賊山

再び石楠花

遅い新緑

銀龍草

軌跡 (クリックすると大きな絵になります)

断面図 (クリックすると大きな絵になります)