残雪の毛勝谷から毛勝三山

パートI:記録
メンバー 岩満嘉代子(61歳)、吉田浩二(62歳)

2005年5月1日(晴れのち雨)
石神井公園駅発7:30
関越自動車道、上信越自動車道、北陸自動車道、魚津IC 11:40
魚津港へ寄り道(蜃気楼にて昼食)12:10-13:15
132号線 南又谷分岐、片貝第4発電所先の堰堤手前駐車場 14:20、今年は雪が多く片貝山
荘まで車が入れずに、大分手前で足止めとなった。
片貝山荘の少し先まで登山路の下見 14:30-15:10 雨がパラつき出したので、急いで戻る。
駐車場へ戻り 15:50 幕営直後、雨足が強くなる。

5月2日(雨のち曇り、夜晴れ)
予報通り、朝は雨が上がらず、9:30 まで天気の回復待ち
駐車場発 10:45
片貝山荘、僧ヶ岳登山口を通過して東又谷分岐地点 11:40-11:55
宗次郎谷出合を15分ほど過ぎた地点、昼食 12:55-13:15
阿部木谷、大明神沢出合少し手前 1150m地点 14:20-14:40
毛勝谷 1450m地点 15:45-15:55 アイゼン着用
同 1750m地点 16:50-17:00 ザックの重さがここに来て堪えてきて、極端に足運びがス
ローダウンしてしまった。手術で腹筋が弱くなっているのを実感した。
コル 2370m 19:00幕営

5月3日(快晴)
起床 6:00
出発 7:20
毛勝山(2414m)7:30-750
テント場8:00
釜谷山(2415m)8:55-9:15
猫又山(2378m)10:05-10:30
釜谷山、昼食&ノービング 11:30-12:40
テント場 13:40 

5月4日(快晴)
起床 6:00
テント撤収、出発 8:10
三ノ又 8:55-9:00
大明神沢出合上部で地元敬老会のハイキンググループと談笑 9:30-9:40
阿部木谷 約1050m地点 10:30-10:40
約900m地点でアイゼンを脱ぐ 11:20-11:30途中フキノトウ摘み
東又谷出合、洗顔、給水 12:00-12:10 
片貝山荘訪問 12:15-12:20 張り紙は「事故のため使用出来ません」となっていたが、中に
いた人に尋ねたら「泊まれます」という返事でした。
駐車場 12:50-13:10
132号線を魚津港に出て、再び蜃気楼で昼食 14:00-15:00
8号線、糸魚川、148号線中土から114号線小谷温泉(村営露天風呂)17:25-18:20
街道沿いの食堂「家族」で夕食18:30-19:30
148号線にもどって白馬駅から程近い無料駐車場に幕営(ホームレス・スタイル) 20:15

5月5日(晴れ)
起床 4:30
撤収、出発 5:00
148号線、大町から147号線、松本から19号線、塩尻から20号線、高井戸から環八と高
速自動車道を使わずに、一般道路をつないで帰宅12:30
(途中道の駅各所で休憩)


パートII:感想雑文

1965年(昭和40年)の夏、剣岳、二俣の定着合宿地を後に、三人の若者は北方稜線を目
指した。強烈な藪漕ぎの果てに、毛勝山までたどり着き、長いガラ場の毛勝谷を降りた。
(嘯雲第4号)
それ以来、毛勝三山の良さは残雪期にありと思いつつ、中々機会が訪れなかった。
「岳人」2004年5月号、2005年5月号と2年続けて、毛勝山の記事が載り、イメージし
た通りの山の様子に、気持ちがぐっと乗ってきた。
5月1日から5日の日程なら、人より時間をかけて歩けば届きそうに思えた。
今回は、毛勝の稜線にテントを上げて、40年前の想い出にドップリ浸るつもりだ。

5月1日の関越、上信越、北陸道は流れが良く、沿線を彩る若葉、ツツジの花、山藤の紫、
桐の紫など、この季節の色合いが楽しめた。
折角遠方にきたのだからと、魚津港に寄り道して、海の駅「蜃気楼」で握り定食2000円の
昼食を気張った。
片貝川に沿い、山に向かって南下する両脇は、田植え直前なのか人気も無くひっそりとし
ていた。今冬は雪が多かったので、水の温むのも遅いのだろうか。
案の定、片貝山荘の大分手前で、支沢から落ちた雪が道を分断しており、車はそれ以上入
れない。堰堤手前の広場に駐車して、片貝山荘の少し先まで、登山路の下見に歩いたが、
分断個所がまだ幾つもあり、空身でも40分弱かかった。
ザックを担いだら約1時間の距離、その分思惑が外れたが仕方ない。
早くも雨がパラつき始めたので、小走りに戻り、テントを張り終えたところでザーと本降
りになった。予報では2日が雨とあったが、半日早まったようだ。

夜明けは小降りになったものの、雨の中へ出かける気が起きず、待機しながらもう一寝入
りしていると、車が何台かやって来て、雨衣を着てそのまま出かける人や、様子見の人が
たたずんでいる気配がした。
9時半近くになって薄日が差し、テントや寝袋を気休め程度乾かして、出かけることにした。

片貝山荘を横目に、僧ヶ岳(11.5時間)への登山口と雪崩遭難碑に目を遣り、東又谷の橋
を渡って、阿部木谷の林道に入った。すぐに「岳人」記事に載った、西北尾根取り付きの
赤布を見つけたが、今回はそのまま谷道を進む。あちこちにフキノトウが目立った。
出足が遅かったので、無理せず林道の切れるあたりにテントを張って、明日コルへ登る考
えもあった。ところが始めの2時間歩いている間に、今日中に何とかなりそうな気になっ
たが、それは大きな勘違いであった。

大明神沢出合を過ぎるあたりから、傾斜が増してザックの重さが堪えて来た。三ノ又下で
アイゼンを着けた。ガスの切れ間に見上げるコルは、右にドッグレッグした先に消えたま
まで一向に近づかない。足は止まり勝となり、「停まっていたら着かないぞ」と自分を叱咤
して30歩、しばらく喘いでまた30歩の繰り返し。
最近見た映画「運命を分けたザイル」で、奇跡的な生還を果たしたクライマーが実践した、
絶望しないための目標設定、“細かく刻んで繰り返す”を思い出した。

昨夏、開腹手術した後の腹筋が弱っていることを、過小に評価した報いだ。最後の40度の
登りに体が動かなくなってしまい、見積もりの2倍の時間がかかった。
何とかコルにたどり着いた時は、頭上に星が瞬いていた。それ以上一歩も動く気力が無く、
その場にテントを張って倒れ込んだ。
その夜は、疲れすぎて食欲が無く、オリジナル”赤飯チャーハン”の 一さじを持て余した。

3日の朝、節々痛む体を伸ばしに、テントから這い出して思わず息をのんだ。剣岳がドン
と目に飛び込んできた。テントを担ぎ上げた苦労が報われたという喜びで、はしたなくも、
「ヤッター!!」と喚声を上げてしまった。
右手から伸びてくる早月尾根、懐を突き上げる小窓尾根、「剣みるなら」と唄われた赤谷尾
根、剣岳の存在感が余すところ無くショウアップされ、長いこと見惚れてしまった。

ひとしきり剣岳を堪能してから、ようやく後立の山なみに目を転じるゆとりが出来た。
1年生の夏に、横尾谷右俣から後立縦走パーティとして歩いたコース後半の、爺ヶ岳から
白馬の思い出が沸き立った。
針ノ木から一気に足を伸ばして、鹿島槍に泊まった記憶も蘇った。やや意外なのは、五竜
岳が心なし迫力に乏しい。遠見尾根からの見得を切っているような姿や武田菱の印象と比
べるからかも知れない。

朝飯前に、豪華な景観のご馳走を振舞われた気分だったが、昨夜はほとんど口に入れてい
ないので、しっかりと朝食を取った。
距離はわずかでもテントの場所からは見えない毛勝山北峰に出かけた。雪がついているか
らか、40年前のことは思い出せない。わずか10分の登りだった。2414mの山頂の周り
は雪が付くとポッコリした感じで、昔断念したサンナビキ山への下りも何ていうことはな
さそうだ。とは言え、宇奈月までは遠い道のりだ。
今は夏道がついている西北尾根に、薄いトレースが見えたが、残雪期はやはり毛勝谷を詰
めたいと思う。
一度テントに戻り、毛勝南峰を越えて急に下った後、釜谷山に向かう。サブザックなのに、
登りになると、きのうの筋肉疲労ダメージが蘇るのか、軽快な足取りとはならない。

釜谷山(1415m)のピークで、ブナクラ谷を詰めて毛勝山に向かう4人パーティと出会っ
た。そして帰りにまた会いましょうと別れた。
猫又山へも同じように一度ぐっと下って登り返した。幾分雪が軟らかくなってきて、いい
加減なキックステップでも間に合うようになった。
雪が無ければ痩せたピークなのだろうが、雪の衣で見た目の安定感がある。猫又谷は下の
方に長々と這っていた。
想像した通り毛勝三山は、夏痩せの裸姿よりは、雪のどてらか掻巻を身にまとって、旦那
然としてくれた方が親しめる。
折り返し地点となる猫又山のピークで、最後のオレンジを食い、この山行の味付けとした。

手垢に汚れていない山が好きだった昔、かといってロッククライミング志向がなかったの
で、剣岳北方稜線は格好のターゲットだった。40年後には、残雪の山としてそれなりの
人気を獲得して、地元の人がびっくりするぐらい、遠くから人が来るようになっていた。
初日の雨はともかく、こんな快晴の日に、足の下にはたっぷりの雪を残した稜線を、初夏
の風に吹かれて、少しセンチメンタルな心境で漫歩する幸せを味わうことが出来た。
午後早い時間にテントまで戻ってからは、エアーマットに寝転んで、雪割り焼酎を片手に、
マウントヴューの中でまどろむ贅沢が出来た。
日が落ちると、魚津の街の灯り、剣、後立のシルエット、天上の星の瞬き、身に過ぎた一
日だった。

4時半にテントから顔を突き出した。少し明るい夜明け前の空の、鹿島槍の双耳峰の上に
下限の月(二十六夜)が幽かに残り、これが有明の月なのかとしばし眺めた。

毛勝谷への下り始めは、一番バッターにならないで、ぐずぐずと行こうと相棒と相談した。
「世界最悪の旅」で読んだ、ペンギンが氷の崖から飛び込む際、譲り合って最初には飛び
込みたがらない、あの心境だ。
テントの撤収をゆっくりしながら様子を見ていたら、最初は4人組のパーティだった。ザ
イルを出して、スタッカットと慎重だ。しばらく間があって、次は単独行の人を見送った。
そろそろいいかといった気になり、鍛造8本爪の時代物アイゼンを履き、ウッドシャフト
のピッケルをついて、下り始めた。登りでは足が進まなかった急傾斜を、今度は足をひっ
かけないように一定のリズムで降りる。久しく忘れていた山の緊張感。
一時間近く降りて、ようやく普段の足取りになって振り返る余裕が生まれた。既にコルか
らの降り口は隠れ、雪壁の端が紺碧の空に融け込んで行くかのように感じた。
あそこまでよくテントを担げたなと改めて思った。

かなり高年のグループが休憩している脇を通ろうとしたら、声をかけられて、しばらくお
しゃべりを楽しんだ。「きょうは、敬老会のハイキングなのさ」と地元の人は、裏山に散歩
にきたような口振りだ。毛勝山は彼らの自慢の山なのだろう。
更に下ると、今度は山スキーのグループとすれ違った。降り口の急傾斜にきれいな弧をか
いた跡を見て感心したばかりだが、この人達もあっと言う間の滑りを楽しみに登って行く
のだろうか?

まだ薄く雪をかぶってはいるが、林道と思われるあたりにフキノトウが現れ、片貝山荘が
近づいたことを知り、荷物を下ろしてフキノトウを摘み、山には近づかないカミさんへ、
山の味のお土産とした。
そのあたりからは、無事降りてきた安心感から野草の花が目に入るようになった。
紫の鮮やかなキクザキイチリンソウが群れをなし、カタクリとショウジョウバカマはちら
ほら、カタバミの仲間やまだ覚えていない黄色い花(キジムシロかミツバツチグリ)、コゴ
ミや蕨と、右を見て左を見てそのつど立ち止まり、名残を惜しんだ。
東又谷の橋を渡る手前の小さな支流に入って、顔を洗い、汗を拭ってさっぱりした。小さ
な流れの音をふと聞き入り、すっと心が静まって行くのが分った。

40年前の下山では、どのあたりか全く覚えていないが人里近くの下流で、川の流れに入
って水浴し、入山から3週間ぶりに下着を替えたこととか、通りかかった地元のお年寄り
が杏のような果物を籠から出して食べさせてくれたことなど、長いこと記憶の底に沈んで
いた断片が、懐かしく思い出された。
この40年間はなんだったのだろうか?或る時は調子づいて得意になったり、一転挫折し
て傷ついたり、いまだに自分の身を処しきれていない現実がそこにはあるとしても、一つ
の山のイメージが両端にあるということで、連続する時間を改めて噛み締めて、残雪の毛
勝谷を後にした。

(ここまで書いて息切れがしてしまい、長いこと休筆しましたが結局後が続かず、帰途寄
った小谷温泉村営露天風呂の感想も付けるつもりでしたが、書く気を失いました。)