ゴーチャ・ラ(4940m)トレッキング



山岳部創立90周年記念・
海外トレッキング、カンチェンジュンガ展望・

ゴーチャ・ラ(4940m)トレッキングに参加して

                    17M 馬目廣道


サミテレイクよりのカンチェンジュンガ南峰

カンチュンジュンガはシッキムとネパール国境の山群でチベット語で「偉大な雪の五つの宝庫」
の意味を持ち、主峰は標高
8,586mで世界第3位、西峰(ヤルン.カン 8,505m)、中央峰(8,478m)
南峰(
8,478m)等五つ峰が連なっております。

シッキム ゴーチャ側から南峰が眼前に望まれます。左のゴーチャピークの右尾根の下が
ゴーチャ.ラ
()です。

主峰初登頂は1955年5月25日英国隊G.バンド、J.ブラウンにより、西峰は1973
日本隊により登頂された。

慶応大学山岳部の創立者初代部長 鹿子木員信先生が大正7年(1918)、日本人として
初めてヒマラヤ行を、シッキム国(1975年インドに併合、現在シッキム州)ダージリンから
ゴーチャ峠を越えタルン氷河からカンチュンジュンガを目指しました。

創立90周年を記念して同じルートを辿るのが今回のトレッキングです。
かつての山行の記録は鹿子木員信著「ヒマラヤ行」として世界山岳全集にに収録されております。
又登高行第1巻に写真が記載されている。
その年の春、慶應義塾を辞任した鹿子木下員信先生はダージリンを基地に
カンチュンジュンガ
山郡を登ることにした計画は、準備には苦心したようで、テントは槙有恒さんが仙台で試作
した一坪の紙製小型テントを用意したがピッケル、ロープはインドでついに入手出来ず、

カルカッタの鍛冶屋に作らせた不完全なピッケルとロープはこれまた莫大な費用を使って
インドで調製したそうです。

出発:20053月24日
帰国:
20054月8日

参加者:大橋基光 宮下秀樹 大森弘一郎(15C) 一力英夫 伊勢田徳生 岩田継正 
    白根靖彦 馬目廣道 石川一郎(ヒマラヤ観光ツアーリーダー)平均年齢約70歳。

第1日目(324日)成田空港に9:30集合。JL471便にてインドの首都デリーえ17:30着。
    Hotel Clraridges

第2日目(325日)国内線9W602にてGOWAHATI経由バグドングラえ13:45着、空軍と
共同使用の空港で、到着した軍用貨物機から部隊が車両と共におりてきた。その写真を
撮影した事を隊員のひとりが咎められ、別室での取り調べ後フイルムを感光させられた。
カシミール紛争を抱えている国の厳しさを感じる。

専用車でダージリン(2130m)え、バグドクラより93Km、約4時間。ダージリンは英国統治下
開発された避暑地、そのイメージと異なり、斜面に立つ家々、道路にあふれた人々の多さ
に驚きました。ダージリンえの自動車は世界遺産になっているトイトレーンの線路と何度
も交差しながら登ってゆきます。軌道幅
610mm



Darjeeling、ホテル May Fair Hill Rasort.

第3日目(326日)朝食前、全員で近くのView Pointに微かな期待をもって散歩するが
残念ながら山は雲の中。朝食後車でヨクサム
(1820m)、距離140kmへ出発。
シッキムは1975年インドに併合されシッキム州になったが入境はビザが必要で、30km
遠回りをしてジュレタング、
Melli Checkで入境手続き、書類のタイプミスで1時間ほどかかる。

ヨクサム 
Hotel Tashingang Yuksumに4時頃到着。荷物を3個に分ける、馬、ヤクに
預ける物、自分で背負う物、ホテルに残す物。

第4日目(327日)ヨクサム〜バッキム(2900m
いよいよトレッキング開始。
サーダー1名、サブガイド2名、コック1名、コック見習2名、馬方3名、馬12頭、
ヤク3頭、トレッキングメンバー9名 の構成です。
雲が多いが晴れ、雲の中から瞬間Kabru(7338m)が見える、高い。
川沿いの樹林帯の中をアップダウンを繰り返し1つ目の橋を通過(橋は土砂崩れで崩壊)
2つめ吊り橋を通り三つ目橋との中間でランチ、なんとテーブルと椅子がセットされ焼き
たてのナン、バター、ジャム、蜂蜜、紅茶、ミルク他。


 

途中何回か雨が降り雨具を付けたり、脱いだりして3つめの吊り橋にやっと到着する。
ここからバッキムのテント場まで800mの直登、高度はどんどん上がるがかなりきつい、
4時半バッキム着、隊員用テント5張り(二名用)食堂、炊事用各1張り。
トイレテントは強化ダンボールの組立腰掛け便器が快適。


晩飯 パスタと野菜炒め

第5日目(328) バッキムからピタン(3600m
テント泊まり初日、疲れから熟睡。朝6時30分ヤカンに熱い紅茶、ミルクをもってポーター
が起こしに来る、荷物を作って表に出ると、洗面器にお湯を入れてくれる。洗顔後朝食、おかゆ
にふりかけ、梅干し。

8時出発今日はビタンまで約600mの登り、咲き始めた赤の石楠花(rhododendron)、もくれん
magnolia)が咲いている樹林帯の中登り続け2時にビタンに着く。時々雲が切れJopuno(5936m),
Pandim(6691m)
が姿を現す、感激。夕食の後雪になる。

 

第6日目(329日)ピタン〜ゾングリ(4030m
夜半にやんだ雪で、雪景色になる。晴れ。周りの山が朝日で輝く。
この晴れは10時頃迄で、すぐ曇り雪が舞うのがパターンのようだ。
石楠花の樹林帯をさらに登りつずけると前方が開け広い牧草地があらわれ
ゾングリのロッジを通過してしばらく登とテント場に到着、ホットジュース
のうまいこと、約4時間の行動。雪の上にテント設営。

第7日目(330) ゾングリ〜タンシン(3930m)

昨晩は強風で我々のテントが潰れたが、そのまま熟睡した。快晴。
8:30出発、尾根を越え、プレック・チユ(河)に400mの下り河原にあるコクシンの
ロッジを経て、サミテレイクから流れる河に沿ってタンシンえ
300mの登り、13:30 着。

Pandim(6691m)を眺めながらタンシンに向かう。カンチは左はるか雲の中。

タンシンのテント場、午後になると曇る、左の尾根裏にカンチュがある。
遠く見える塔は、放牧の動物の監視用。

第8日目(331) タンシン〜サミテレイク(4330m)
快晴に恵まれ開けた牧草地を行くと、まもなくカンチェンジュンガ南峰が見えてくる。

カンチェの頂上から雪煙が上がる、サミテレイクは右奧のモレーンの陰にある。

右側にPandim,峰見ながら歩く。
モレーンに取り付き登り降るとサムテレイクの小屋が見えてくる、その前が今夜のテント場です。

第9日目(4月1日)サミテレイク〜ゴーチャラ(4940m)〜サミテレイク
最終目的地ゴーチャ峠往復の日、2時起床満天の星、北斗七星の先の北極星が手に届くようだ。
ついている。朝食、3時出発。

モレーン脇の谷間を詰めて、4650mのビューポイントに日の出の5時に到着、カンチの
頂上が赤く染まり始める。


ビューポイントで記念写真。

雪の斜面をサーダーのステップに忠実に降り、崩壊した氷河湖の砂地を行く、
この氷河湖の崩壊は山麓に莫大な被害をもたらした。
モレーンの丘を巻くように長い登り、やっとゴーチャに到着10時半。
数分間、間近にカンチェンジュンガ南峰とゴーチャピークを仰ぐ。

連日のパターンで10時を過ぎると雲がわいてくる。
シッキム側からカンチェンジュンガには誰も登っていない、長いアプローチの為と思う。
ここからカンチュを目指した、鹿子木先生の心意気に思いをはせる。
初めてのお弁当を食べ、1時間程で降り始める。
15時サミテレイクに戻る。よく歩いた。


サミテレイク、テント場は湖の対岸。

第10日目(4月2日) サミテレイク(4330m)〜コクシン(3600m
5日かけた登りを3日で降る。

今日も快晴、カンチェンジュンガをバックに記念写真をとり出発する。


サミテレイクのロッジ。

トップを行くサーダー、ドプリン氏(26歳)と話をしながら歩く、カンチュンジュンガ
初登頂者(
1955年)一人、英国人ジョージ.バンド氏が数人のパーテイで、昨年ゴチャーラ
往復をしたそうで、彼が案内したとの事、ジョージバンド氏は80歳を越えて、どんな感慨
にふけったのでしょうか。

昨日(4月1日)若いスイス人の男女のパーテーがJopuno(5936m)を登り、今日下山した
そうで、彼らがコクシンの入口でテントを張り、美味しそうに野菜サラダを食べている

横を通る、挨拶におめでとうを言う。感じよい若者だ。
このトレッキングで英国人、米国人、ロシヤ人等の小人数のパーテイと前後して歩いた。
又コクシンの橋のたもとで30人の英国人の老若男女のパーテイをやり過ごす。
馬、ヤク、ポーターを含めると大部隊である。


のんびり下山。

11日目(4月3日)コクシン〜ツオーカ(3005m)
往路泊まったゾングリに登り返サず、尾根をトラバースしてビタンで稜線にもどるが
登り下りの、長い長いトラバースでした。そして往路通過した最後の集落ツオーカに
一気に降る。登るときはガスの中で何も見えなかった集落が足元にみえる。3時半着。


ツオーカの集落、自家発電、飲み屋、お土産屋まである。

夜、ポーター達がトレッキング終了の前夜祭、歌い踊り賑やかなパーテイを開いて大騒ぎ


食後のお祝いのケーキ

12日目(4月4日)ツオーカ〜ヨクサム(1820m)
トレッキング最後の日、今日も快晴。
石楠花の満開の樹林帯を降りバッキムを通過、第3の橋に下る。


ツオーカのロッジ

テント場は小屋の前。


石楠花と宮下さん。


美味しい食事

コックは若い女性で、我々の口に合うよう工夫してくれたようだ。



3の橋、新たなトレッキングが登ってくる。ここからヨクサムまで最後の上り下りを繰り返し、
最後の歩きをじっくり味わう。いつの間にか人家の庭先を歩いている、ホテル、
Tashingang
Yuksum
に大橋さんと先着。4時着。白根、伊勢田4名で冷えた地ビールで先着の特権で乾杯、
今までで一番うまいビールでした。本当にヨクサムの地ビールは美味しいビールでした。
テント8泊、よく歩きました。

夜はポーター達と飲み、歌い、踊り楽しい一時を過ごしました。
良き仲間、楽しいサポートの人々の御陰で、幸せな山行でした。
皆様に心から感謝、感謝、ナマステ。

13日目(4月5日)ヨクサム〜ダージリン

14日目(4月6日)ダージリン〜バグドグラ〜デリー

15日目(4月7日)デリー観光、成田に出発。

16日目(4月8日)成田着