■H隊記録 −中吾妻−
●メンバー
川本孝善(32M)
L 日比谷孟俊(27C)
●目的
吾妻山塊の中で,大きさと山の深さの割りには,ガイドブックに
案内がなく,新しい地図には径も抹消されている中吾妻を狙う.
かつて,日比谷が1年生の際の国鉄小屋でのスキー合宿の際,
計画はされていたが,行けなかった山である.
●記録
8月4日 晴れ後曇り,雨
東京駅発 6:12 やまびこ201,福島着 8:10
タクシーにて浄土平へ.
浄土平 9:00 - 9:30
姥ケ原 10:30 - 11:00
GPS で現在地確認(WGS84 系座標)
N 37°43' 21.9"
E 140°13' 48.5"
この値は,日本国土地理院の座標系よりも,約 300 mほど
北西にずれている.国土地理院の地図を基準に測定する
場合には,国土地理院座標系で表示する必要がある.
谷地平小屋 12:00 - 14:00 昼食,
谷地平小屋位置
WGS84 系座標
(小屋の東側出口)
N 37°43' 39.6"
E 141°12' 35.3"
国土地理院座標系
(小屋の東側出口)
N 37°43'28.6"
E 141°12'45.5"
(小屋西側)
N 37°43'31.0"
E 140°12' 46.5"
サブザックで中吾妻に行ける所まで行き,登頂できない
場合には,明朝,本格的にアッタクすることにする.
1/25,000 図の十字路から西へ向かう径を発見できず,
そのまま駕籠山稲荷への径をとり,東西に走る沢に降りて
沢通しに西に向う.
大倉川との出合い 14:20.
大倉川出合いの 30 上流に赤ペンキを発見し,
中吾妻取りつき地点を確認.大倉川右岸の台地に登り,
左岸を見ると,谷地平からの道を確認できた.
1545m地点(国土地理院座標系 N 37°43' 22.8",
E 140°12' 16.5")にて,雨が激しくなり,アタックは
明朝行うことにして,引き返すこととする.
引き返し 15:05
この間に約5枚の赤布をつける(kstac 文字入り)
沢の徒渉点から中吾妻側には,赤ペンキや,古い赤布,テープが
連続して着けられており,これを丁寧に辿ってゆけば
中吾妻に到着できるとの確信を持つ.ギンリョウソウが多い.
途中の小沢で小休止 15:20 - 15:25
大倉川の徒渉点の対岸に,谷地平小屋に向かう径が
刈り払いされているのを,往路で発見していたので,これを利用.
谷地平小屋帰着 15:50
谷地平小屋では明治薬科大学のワンダーフォーゲル部の
一行約15名と一緒になる.女子学生がリーダー.男子よりも
元気が良い.
餅,クリームペースト,アスパラガス,スープ,コーヒーで夕食.
8月5日 晴れ後曇り,雨
起床 4:00,
朝食:炊き込み飯,味噌汁
5:25 出発
1590m 地点 6:24 - 6:35
必要に応じて赤布をつける(約50枚準備し,中吾妻稜線までに
殆どを使用).
1640 m 地点 ルートファインディング 6:40 - 7:00
根曲竹の中に,赤ペンキ,赤布が消える.ザックを置いて
約20分のルートファインディング.赤ペンキや赤布は
必ずあり,これを丁寧に探してゆくことが,原則であると再確認.
これを忠実に行うことにする.
尾根取付き沢状部 1665m 地点 7:45 - 7:55
(N 37°43' 19.6",E 140°11' 57.2")
緩やかな沢状の個所に,多量の風倒木.1996 年の台風の際の,
沢を這い上がる強い風によるものか?
ルートファインディングを行う.道は尾根に取りついている
との根拠で,尾根側で丁寧に径を探す.立ち木に熊の爪跡を
見つける.
ほぼ稜線上のコル地点 9:10 - 9:15
(N 37°42' 59.4",E 140°11' 22.9")
ルートファインディング,どこがコルであるかを確認.
コル(ヤケノママへの下り径を確認)9:20 - 9:45
(N 37°42' 58.9",E 140°11' 21.1")
時間切れとなり,中吾妻三角点(南峰頂上)への往復は断念.
コルからさらに南へ 500m の藪漕ぎが必要となる.コルから
頂上までは1/25,000 地図にも径がなく,藪の状態もかなりの密叢で,
さらに,1 - 2 時間程度を必要とするだろう.
尾根取付き沢状部風倒木帯(1665m 地点)10:55 - 11:20
谷地平小屋 12:35 - 13:05 荷物をパッキングして出発.
当初,大倉深沢の溯行も計画にあったが,時間不足と判断し,
最も確実な,鎌沼,一切経山経由のルートを選択.
1620m 地点 14:00 - 14:10 雨が強くなり,雨具をつける.
姥ケ原(鎌沼)15:05 - 15:20
一切経山通過 16:30 雷
慶應小屋への分岐大岩 17:10 通過
慶應山荘 18:00 到着
夕食は,大柿さんが作ってくれたカレー.
紅茶会(山本さんによる"惜春の譜"の歌唱指導など)
(川本)
8月6日 晴れのち曇り
川本はFおよびM隊と共に高湯へ下山.日比谷はD隊と共に姥湯へ下山,
>>川本下山記録:
慶應山荘出発 8:00
賽の河原 9:40
不動沢 10:25
25M野口さんの車にて安達屋旅館へ.
昼食後、28M山本夫妻に見送られて福島駅へ向う
福島駅解散 13:25
>>日比谷下山記録
D隊(20M宍戸,20M清水,20M加藤,25C寺西)と行動を共にする.
慶應山荘出発 7:00
大根森 7:25- 7:35
五色沼 慶應分岐大岩 7:55 - 8:15
一切経へ向かう,伊藤(15C),山本(28M),山本夫人(32E),
瀬上(28M)と別れる.
家形山 8:30 - 8:45
兵子 9:50 - 10:25
一切経山,大倉深沢,東吾妻,谷地平,ニセ烏帽子,烏帽子,
東大巓,中吾妻が見える.時間の経過と共に雲の量が増す.
大日岳(N 37°45' 12.2",E 140°13' 47.2") 11:35 - 11:50
1470m 地点 12:35 - 12:45
姥湯着 13:35
温泉に入り,15:30 のマイクロバスで臨時駐車場まで.
さらに,手配したタクシーで福島駅まで.
夕食後解散.
●感想
<川本>
整備されていない登山道を進む事は、大変なことと予想していたが、
赤ペンキなどの道標が残っていたので、Route Findingを楽しめたと
思います。
また、一般の登山者が入らない為、生の自然がふんだん残されており
山荘の大柿さんは、”吾妻は雲上の楽園”と表現されていたが、
”中吾妻は天上の楽園”の想いがします。
遠い昔に登った、郷里の山を思い出し、自然へのなつかしさを感じました。
今回の山行で、「KSTAC」の赤布が残されていますので、
次回は、中吾妻山のコルまでは、スピードアップ出来ると予想できるので、
山頂を目指すのも可能と思われる。
今は、数少ない、手付かずの自然に再度抱かれたい想いを覚えています。
充実した山行をありがとう御座いました。
登山本部の長谷川様、保険のお世話を戴いた井坂様、有難う御座います。
<日比谷>
慶應山荘の大柿さんによれば,近年,自然保護団体からの要請と,
環境庁からの指導で,中吾妻への径の刈り払いや登山道の整備は行って
いないとのことである.
谷地平小屋をベースにして,アタックの前後に小屋で宿泊すれば,
日帰りが可能である.冬季には,慶應山荘をベースにして,東大巓の
明月荘を中継地にすれば,行ってこられるだろう.東大巓,継森の稜線は
スキーによさそう.
径が無いに等しい山ということで,自分たちの居る場所を地図上で正確に
知る手段として,コンパスと地図以外に高度計(川本腕時計内蔵)と GPS
(Empex 社製)を併用した.GPS に衛星から送られてくるるデータは
"WGS84 系座標"であるので,国土地理院地図に対応させるには,表示を
変更する必要がある.WGS84 系座標で読むと,地図上で北西に約300m ほど
ずれることになる.船舶は海上では WGS84系 を利用しているが,晴海埠頭
では,国土地理院座標系に変換しないと,船は岸壁を越えて300mほど,陸地
に乗り上げることになる.カーナビをWGS84系座標に設定しておくと,小樽や
富山港では,陸上だと思って走っている車が,海に転落する可能性も.
データは,RS232C 端子を介して,パソコンに取り込むことも可能.
帰途,時間がかかり小屋に到着したのが 18:00 になってしまいました.
参加の方々に心配をおかけしたことをお詫びします.この計画を推進して
下さった,日野,宍戸,野口,川本の各幹事,保険を扱ってくださった
井坂幹事に感謝申し上げます.本年も仕事の都合などで,急に参加できなく
なる方がありました.吾妻は逃げませんので,次回,また,行きましょう.
山荘の紅茶会では1期の山本さんに,藤原工大の第1回記念祭に際して
作られた「惜春の譜」(鰭雲の歌)の歌唱指導をして頂きました.永井
先生作詞,山本敞さんの作曲です.その由来を,「嘯雲」紙上に,
お二人に書いて頂いています.理工学部のラグビー部は,この歌を永井
先生のお許しを得て部歌にして,歌い続けています.この歌の成立に
係わった山本敞さんを擁する山岳部としても,継承してゆきたいものです.
以上